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【特集】巨匠の遺志を継いで 病と闘いながら地元島根でクラシックバレエの魅力を伝える女性に密着 

2024年3月9日 6:22
【特集】巨匠の遺志を継いで 病と闘いながら地元島根でクラシックバレエの魅力を伝える女性に密着 

クラシックバレエの魅力を地元の人たちに伝えたいと、病と闘いながら奮闘するバレエ講師が島根県松江市にいます。様々な思いを胸に活動する女性の姿に迫りました。

優雅に美しく舞うクラシックバレエ。このバレエを長年、教え続けている女性が松江市にいます。若佐久美子さん(56)です。

松江市のバレエ教室、「若佐久美子バレエスクール」。1989年開業、子どもから大人まで80人が通う山陰最大規模の教室です。

通っている生徒の親
「前は広島にいたんですけど、そこの先生からここのバレエ教室が松江では良いと聞いて、愛のあふれる指導をしていただいていいなと思っています」

生徒
「怒る時はかなり怖いんですけど、優しいときは本当に優しい先生です」

◇  ◇

華やかさの一方で、厳しいバレエの世界…。

~生徒を指導する若佐先生~
「ちゃんとやれ!あのさ、この人が崩れたときにあんた崩れたら絶対にだめだよ」

■バレエ教室で指導する一方、病と闘う日々

若佐さん、実はある病と闘っていました。37歳で発症した卵巣がんの一種「か粒膜細胞腫」。再発と手術を繰り返し、抗がん剤治療を受けていました。人工肛門のため、思うように動けません。

若佐久美子さん
「本当はあまり大きい声は出さないように言われてるんだけど、そんな調節できてたら世話ないよね。できないから」

医師からは、余命を意識するよう告げられ、一時は教室の閉鎖も考えました。それでも、若佐さんは生徒と向き合い続けていました。

若佐さんがバレエと出会ったのは6歳のとき。家族で見に行った舞台でした。

若佐久美子さん
「すごく舞台が光輝いていて夢の世界というか、幕が最後降りてくるときに立ち上がって『私これが良い!』って言ったんですよ」

当時、松江市にバレエ教室は数えるほどしかなく、高校卒業後は京都のバレエ専門学校へ。ふるさとでバレエを広めたいという思いが募り、21歳で地元に戻り教室を開いたのです。

若佐久美子さん
「いま島根に私が思う教室がないのであれば、私が(地元へ)帰ってやることが一番意義があるんじゃないか、誰に頼まれたわけでもないし勝手な使命感を持って」

■岩佐さん憧れの存在、石田種生さん

若佐さんには、憧れの存在がいました。石田種生さん。日本を代表するバレエダンサーであり振付師です。戦後、本場の旧ソ連でバレエを学び、東京を拠点に全国で活動。数多くの創作舞台を手がけ海外でも高い評価を受けました。

そんな日本バレエ界の巨匠・石田さん…なんと、島根県大田市の出身なんです。

若佐久美子さん
「先生たちが頭を下げて『あ!石田先生!』みたいな感じだったから本当に雲の上の人で芸能人にあっている感じ」

そんな若佐さんが、知人を介して石田さんと直接話すことできたのは開業して7年目のこと。同じ島根出身ということで、猛アプローチしました。やがて親交は深まり、若佐さんのバレエ教室が10周年を迎えた1999年、石田さんが振付をした記念の舞台が実現したのです。演目は「くるみ割り人形」。このとき、石田さんからかけられた言葉が、今の若佐さんに繋がっています。

若佐久美子さん
「“島根でバレエをやることが大変なのは僕が一番わかっているんだ”とおっしゃったんです。“あなたは生徒を育てられる人だからここで頑張ってほしい。期待してるよ”って言ってくださったんです」

若佐さんは、2022年からあるプロジェクトに向けて動き出していました。

若佐久美子さん
「石田さんが全幕を振付した『くるみ割り人形』。それを今回掘り起こしをして新たに今回、皆さんでやってもらいたいと思っています」

石田さんが振り付けた『くるみ割り人形』を、25年ぶりに上演させることにしたのです。石田種生さんを生んだ町、島根。

若佐久美子さん
「あ、島根ってバレエが盛んだよね、石田さんの出身地だもんねと、島根といえばバレエでしょと言われるくらい伝わってくれたらうれしい」

■舞台に向けて動き出そうとした矢先の緊急入院

しかし、舞台に向けて動き出そうとした矢先、若佐さんを激痛が襲い、緊急入院することになりました。2022年11月から緩和ケア病棟へ。病室で年を越しました。

若佐久美子さん
「予定外…毎日が予定外の毎日」

それでもー。

オンラインで指導する 若佐久美子さん
「みんな首がなくならないように、なおちゃんも長い首」

オンラインで病室からも生徒たちへ指導を行いました。

若佐久美子さん
「島根で誇りをもって育てられるということを、なんとか途切れないようにしたいと思ってこの教室をとにかく残そう」

入院してから7か月後、病状は安定し、再び指導の日々が始まっていました。抗がん剤をやめ、副作用に苦しむことは減りました。しかし、病気の進行が止まったわけではありません。それでも生徒たちはー。

生徒
「やっぱりうれしいです」

「ずっとこれからもできるだけ教えていただければと思います」

石田種生さんが振付した「くるみ割り人形」の上演に向け準備を再開した若佐さん。石田さんが島根まで駆け付けてくれた当時の映像を取材陣に見せてくれました。

若佐久美子さん
「これが私!この真ん中にいるのが25年前だから30歳くらいじゃない?これが石田先生です」

実はこの映像の10年ほど前、石田さん59歳の時にバイク事故で瀕死の重傷を負っていました。後遺症で思うように動けなくなりましたが、83歳で亡くなるまでバレエに情熱を注ぎ続けました。この時の指導も、容赦ありませんでした。

石田種生さん
「アラベスク!つま先伸ばせほら!」

■石田さんの遺志は若佐さんに受け継がれ…

若佐久美子さん
「つま先遅れないで!」

当時、石田さんがこだわった細かい手足の角度、ダンサーの配置などを意識し、稽古を重ねていきました。準備は1年半に及びました。

2023年10月、いよいよ本番当日。会場には1000人に及ぶ客が集まりました。

今回は一般の小学生からもダンサーを募っていて、そのなかには、なんと石田さんの親戚の姿も。主人公を襲うねずみ役に挑んだ景山真斗くん、初の大舞台で一生懸命踊り切りました。2時間に渡る舞台は大成功で幕を下ろしました。

石田種生さんはご存じでしたか?

「いいえ今回初めて。本当素敵でした。感動しました」

「良かったと思います。思い出して涙が出てしまって。小さい子どもたちもちゃんとそれなりの役をなさっていて良い舞台だったと思います」

■若佐さんの教室に新たな生徒

3か月後の2024年1月。若佐さんの教室に新しい生徒が増えました。

景山真斗くんの母・善美さん
「楽しいと本人が言って。やりたいといったのでいれてもらいました」

「くるみ割り人形」に出演した、石田さんの親戚・真斗くんでした。

景山真斗くん
「もうちょっと足が上がるようにしたい。頑張ります」

若佐さんはまだまだ、バレエに情熱を注ぎ続けます。この島根で、バレエが必要とされる限りー。

若佐久美子さん
「この間教えていたことができるようになったなと思ったらまた次の課題がやっぱり出てくる。もうちょっと頑張って元気でやっていかないといけないなあと思っている。今の真斗くんたちが大人になった時に『結局生きてんじゃん』って言われるように頑張ろうと思います 」