「災害は忘れたころに起こる」今も親友の墓参りを欠かさない、77年前の被災者からのメッセージ
親友の死から77年 今も欠かさぬ墓参り
墓前に手を合わせ、小声で亡き親友に語り掛ける女性。
愛媛県西条市に住む杉野幸恵さん(87歳)です。
小学5年生だった1946年12月21日、昭和南海地震によって“さえちゃん”こと隣に住んでいた親友の田中冴子さんを亡くしました。
西日本を中心に被害をもたらした前回の南海地震では愛媛県で26人が亡くなっていて、“さえちゃん”は現在の西条市にあった自宅の下敷きとなりました。
「はよ、外へ出よう!出よう!」と早朝に母に促され、布団1枚を持って避難した杉野さん。
杉野さん:
「なんかゴーっという音が地鳴りみたいな音がして今でも覚えてるけど、おばあさんが『ああまた来たまた来た』と言って、またそこにうずくまってじっとしていた」
見回すと至る所で建物が崩れていて、早朝の寒さの中「恐ろしい恐ろしいと言いながら、寝巻1枚で震えていた」とその記憶をたどります。
また、別の知人が崩れた家屋から消防団によって亡くなった状態で救出された時の光景も鮮明に覚えているという杉野さん。
災害の知識もなく、まさかこんなに大きな地震が来るとも思っていませんでした。
杉野さん:
「さえちゃんは可愛らしくて明るい子だった。次、私らがさえちゃんに会ったのはもうきれいにして、寝ているのと同じ感じだった」
いつも一緒に学校まで通ったり、帰宅後も遊んだりと一番の仲良しだった親友の死。
“あの時のことは今にも目に浮かぶ”と幼い日の経験を語ります。
77年経った今も、盆や正月など年4回、墓参りを欠かさず行う杉野さん。来るたびに、一緒に遊んだ日々を思い出すと言います。
杉野さん:
「友達を亡くすことは辛いこと。子どもたちは何か分からずに災害にあっている。できる限りの備えをして大人がしっかりと導いてあげないといけない」
震災の経験や記憶を語り伝える
過去の災害の教訓や経験談は、映像や文字など様々な手段で語られ私たちに伝えられています。
それを見聞きすることによって、私たちは次の災害に備える大切さを認識していきます。
東北大学の佐藤翔輔准教授らによる研究では、災害の経験はとりわけ被災した本人から直接聞くことによって記憶に残りやすいということが指摘されています。
ある災害体験を、本人による語り、未被災者による語り、音声、映像、テキストのいずれかの媒体から得たあとに、受け取った側がどの程度記憶していたかを調べた調査では、聞き取った直後は、音声のみで聞いた人が一番、記憶量が多かったものの、媒体ごとの大きな差は見られなかったのがということです。
しかし、その8か月後に抜き打ちで再び計測したところ、いずれも大きく減りはしましたが、本人から直接聞いた場合の記憶量が他を大きく上回りました。
この研究を共同で行った一人である東北大学の今村文彦教授はこう話します。
「震災の状況は文字や写真に残すが、その状況は生存者や関係者に直接聞くことで自分事と感じることができる。また、質問などを直接やり取りをすることで理解が深まる」
今村教授は、災害から得た教訓を共有し、具体的な事例やアイディアなどを学ぶことが、次の災害への備えやそのヒントにつながるとしています。
東日本大震災の被災地のほか、西日本豪雨で浸水被害のあった愛媛県西予市などでは、語り部による伝承活動が行われています。
災害を自分事として捉えた人が、例え小さくても行動に移せば、災害への備えは確実に前に進みます。
一見地道な活動ですが、地域の経験や教訓を語り継ぐことは、未来の命を守るために大きな意味を持っていると言えます。
あの日から77年 未来の南海地震の被災者に伝えたいこと
77年前の南海地震を経験した杉野さんは“もう二度とあんな経験はしたくない”とした上で、未来の被災者にこう語りかけます。
杉野さん:
「家族が急に亡くなったりしたら本当にいてもたってもいられない。どこに悲しみをぶつけていいか分からない。地域で時々は災害についての話し合いをしたらいいと思う。そうしていなければ、災害は忘れたころに起こる」
次の南海トラフ地震は40年以内に90%程度の確率で発生するとされています。
おおむね100年から150年の間隔で発生する大規模災害。複数の世代をまたぐ災害だからこそ、経験をどのように地域や家庭で伝承し、対策につなげていくかが未来の命を守る鍵になるかもしれません。
南海放送 解説委員 白石紘一