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【特集】新潟都心エリア 「万代シテイ」誕生から50年 なぜシテイの「イ」は大きいのか?当時のキーマンに直撃

2023年11月24日 19:51
【特集】新潟都心エリア 「万代シテイ」誕生から50年 なぜシテイの「イ」は大きいのか?当時のキーマンに直撃

新潟市中央区の「万代シテイ」が1973年に誕生してから、11月23日で50年。
当時を振り返るとともに、「なぜ万代シテイの『イ』は大きいのか?」、当時、誕生に関わったキーマンを直撃しました。

■万代シテイ 誕生から50年

万代シテイにはいま、歴史ある写真を使ったパネルも展示されています。写真の中にはあのレインボータワーの姿もありました。

懐かしのレインボータワー・・・家族と、友だちと出かけたあのお店・・・。
“虹の街 万代シテイ”が誕生してから50年、街ゆく人に聞きました。

■市民に聞く 「万代シテイ」の思い出は?

万代シテイの中心、老若男女が行き交う交差点。

Q)あなたの万代シテイ思い出ヒストリーを教えてください!

〈街の人〉
「レインボータワーが昔あったんですけど、家族でよく新潟来たときに絶対に乗る思い出があって。レインボータワーくらい高いところってなかなか登れないのですごく記憶に残っています」

〈街の人〉
「あそこにカレー・・・」
Q)バスセンターのカレー?初めて食べた時はどんな印象でした?
「やっぱり懐かしい・・・昔、家で作ったカレーはそんな感じ」

50年前の1973年11月23日に誕生した万代シテイ。
新潟市を中心に下越地方のバス交通の核となるバスセンターが開業。
ショッピング街もオープンし、今日まで多くの人たちに愛されてきました。

18歳の時、新潟へ引っ越してきたという女性は初めて来た時からトキメキが止まらないといいます。

〈新潟へ引っ越してきた女性〉
「都会感が…万代はすごい華やかで。10代の子たちもマダムたちも可愛い格好してキラキラしてるし、そういうところ眺めるだけで好きです。土日でもチャリとかでヒューっと来るので・・・」

万代シテイ50年の歴史をさらに深掘りするためやってきたのは、ことしで80周年を迎える新潟交通。
机の上には、ずらりと冊子が並んでいます。

〈万代シテイ商店街振興組合  難波翼さん〉
「社内向けに発行していた社報になりまして・・・これが昭和48年、万代シテイが創業した年のものになりまして、こちらがバスセンターの開業当時の写真になります」
「実は万代シテイの開業11月23日としているのですが、(バスセンターは)それに1日先だって11月22日に営業を開始したそうなんです」

当時、一番客のインタビューも記録に残っていました。
<一番客> 『早めに来てあちこち眺めながらここへ来ました。大したもんですね』

全国初のU字ホームが採用されたバスセンター。
当時は2階に指令室があり、発着の管理をしていたということです。

翌日、待望のショッピング街がオープン。
その目玉として誘致されたのが大型スーパー・ダイエー新潟店でした。

“良い品をどんどん安く”。年商4000億・・・当時、日本一の売り上げを誇るダイエーがオープンすることを聞きつけ、万代シテイを取り巻くように集まったのは人、人、人でした。

オープンから3日間、押すな押すなの盛況ぶりで数万を超える客が駆け付けたと言われています。

<街の人>
「上で動物園とかやったんですよ。移動動物園、すごい人出だったって聞きました」
「あの頃すごかったんですよ」

■ご当地グルメの店も

万代シテイとともに誕生した場所の中には、あの店も。
万代シテイ2階にある「みかづき 万代店」。当時のことを聞いてみると・・・。

〈みかづき  小林厚志さん〉
「昭和48年11月、ここの開業と同時にオープンしてますね」

〈記者リポート〉
「みかづきといえば、新潟のソウルフードイタリアン。良い香り・・・今やみかづきの定番メニューとなっているイタリアン。50年前の万代シテイへの出店をきっかけに看板メニューへと成長していったそうです」

万代店はイタリアンをメインに販売したファストフード店の1号店です。

〈みかづき 小林厚志さん〉
「これまでの店は甘味喫茶の土台があるもんですから、そちらに重きを置いていたんです」

オープン月の売り上げは本店を抜くほど・・・ファストフード店への転換は大当たりでした。

■1984年 新潟伊勢丹が開業

1984年。
第2次開発の象徴として華々しく、デパート・新潟伊勢丹がオープン。高価なブランド品が並ぶ店内をみようとオープン前から行列が・・・。

開店初日は平日の日中にもかかわらず、およそ10万人が殺到したといいます。

この頃、万代シテイのお決まりの定番コースといえば・・・。
レインボータワー。高さ100メートル・・・当時、新潟県内一の高さを誇る展望台からの景色に多くの人が魅了されました。

さらに、ボウリング場のシルバーボウルです。
当時は、ボウリングブームの最中・・・多くの人がここで汗を流しました。
 
万代シテイ誕生から2年後に開業したのは万代シルバーホテルです。
ビルの中には、「新潟三越エレガンス」、「紀伊国屋書店」もありました。

最新ハイテクを駆使したアトラクションやゲームマシンが揃っていた屋内型レジャー施設「新潟ジョイポリス」も・・・。
さらに、ファストフード店も軒を連ね新潟の若者にとって欠かせない場所となっていました。

1996年には「ビルボードプレイス」。
2002年に「新潟アルタ」がオープンし、若者のオシャレの聖地に・・・。

■閉店・・・そして新たな商業施設がオープン

しかし、万代シテイのオープン以来、街のにぎわいを支えてきたダイエー新潟店が2005年、閉店します。

〈当時のダイエー新潟店の支配人〉
「1979年、日本一の売上げを達成しました。本当に伝統ある歴史あるお店であるという事は、皆さん方も同じように誇りと自慢をしていただくお店でもあります。本当に寒い中、みなさんどうもありがとうございました。従業員を代表してお礼申し上げます」

■昭和から平成へ

そして5年後・・・。
2007年、跡地に「ラブラ万代」がオープンします。
2013年には、「ラブラ2」がオープン。
昭和から平成へと移り変わり、愛され続けきた万代シテイ。

■万代エリア開発の思い 新潟地震からの復興


しかし・・・記者が、長年抱えてきたある疑問が・・・!

万代シテイ。なぜ「万代シテイ」と書くのか。イの文字が大きいのはなぜなのか・・・。

その謎に迫るべくこの人のもとへ。
当時、万代シテイ開発を決断し、成功に導いた男性、新潟交通の元社長・中野 進さん(91)です。
まさに、「万代シテイを作った男」です!

1964年に発生した新潟地震で万代地区は、壊滅的な被害を受け、復旧ではなく“復興”を・・・。
レインボータワーを作ったのもそうした思いからだったといいます。

■なぜ「万代シテイ」のイは大きい文字?

〈記者〉
「(『シテイ』には)こだわりとか想いが詰まっているのですか?」

〈新潟交通・元社長 中野 進さん〉
「そこまではあんまり考えてなかったな・・・自然になったのかねぇ」

まさかの回答・・・大きな「イ」になった経緯はわからなかったものの、万代シテイという名前には熱い思いが込められているそうです。

〈新潟交通・元社長 中野 進さん〉
「普通、なんとかタウンとか、何とかプラザとか・・・。シテイという表示をしたのは日本で初めて。街の都市機能という意味で、生活が全部入ってくる。衣食住全部入ってきますし、エンターテインメントまで入って人生のすべてが入ってくるという意味での『シテイ』・・・。」

“虹のかかった日本に一つだけの空間”へ。「万代シテイ」には大きな夢と覚悟が詰まっていました。

■開発進む都心エリア「にいがた2キロ」

そんな虹の街はさらなる50年後に向けて大きく生まれ変わっています。
万代シテイ2階にはフードホールが誕生。遊具のある広場は親子の憩いの場に・・・。

近くでは地上20階建てのマンションが誕生予定。1階にはテナントを誘致しさらなる賑わいの兆しが・・・。

〈新潟交通・元社長 中野 進さん〉
「ワクワク感ですよね。ここに来れば新しい何かが、面白い発見がある」

万代シテイを含む「にいがた2km」エリア。
新潟駅から万代、古町の3つのエリアを結ぶ「都心軸」を「にいがた2km」と名付け、新潟市がまちづくりを進めています。
JR新潟駅もリニューアルが進み2024年には新たに140店舗がオープン予定で、新潟市全体が心躍る場所へと変貌しようとしています。