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【2つのふるさとが被災】”ウエイトリフティング”と共に人生を歩む女性を支えるものとは【能登×東日本】

2024年3月8日 20:39
【2つのふるさとが被災】”ウエイトリフティング”と共に人生を歩む女性を支えるものとは【能登×東日本】

 東日本大震災と能登半島地震で2つのふるさとの被災を経験した女性がいます。
 
世界大会で3つの銀メダルを獲得するなどウエイトリフティングと共に人生を歩んできた彼女を支えるものとは。三浦悠実香記者の取材です。

 ウエイトリフティングに魅せられた女性、浅田久美さん。

 浅田久美さん「私の最高の夢が叶えば2000年の9月20日午後2時半から試合が始まるんです要するにシドニーオリンピックですね筋がちぎれようが骨が折れようがとことんやるつもりでいます」

 現在、石川県珠洲市に住む彼女に私は、会いに行きました。

 第一印象は、豪快でおちゃめなひと。世界の舞台で活躍したあとは指導者の道を進み、2012年には珠洲市でクラブチームを立ち上げ、後継者の育成に力を入れています。

 浅田さん「子どもたちの最高の瞬間をずっと見守ることができるのは本当に最高です私たちは子どもに関わることが 本当に生きがいになっている」

 浅田さんが、変わり果てた街を車で案内してくれました。

 浅田さん「ひどすぎる…高齢者が多いし倒れた家を撤去する予算とかお金とか元気がないんじゃないかなと思って、勢いが…そうなると人がいない街になっちゃうんじゃないかって思って」

 16年前、結婚を機にこの街に移り住みました。

 浅田さん「ここも…きれいな海です。似ているんですよ、最初にここに来たときに「あ、釜石と一緒だ」と思って」

 浅田さんは釜石市出身。13年前の東日本大震災では、親のように慕う鵜住居の伯父・叔母の家が津波で全壊。親戚も亡くしました。

 そしてことし、第2のふるさとが被災しました。

 地震の影響でいつもの練習場所は使えなくなりました。

 およそ1か月半、バーベルを触ることができませんでしたが野球部の部室を間借りして、ようやく珠洲市での練習を再開しました。

 女子の日本記録保持者や高校日本一の選手を輩出してきたクラブに全国大会が近づいていました。

 浅田さんは、岩手県の企業の協力などを得て、ばらばらに避難生活を送る選手たちを集めた県外での合同合宿を企画しました。

 地震のあとから、ずっと会えていない選手がいます。

 高校1年生の橋本侑大さん。

 これからの成長に期待を寄せる選手でしたが、自宅が倒壊し、いまもビニールハウスで避難生活を送っています。

 浅田さんは、侑大さんが競技を再開するきっかけを作りたいと思っていました。

 浅田さん「ずっとそっとしていたんですけど「もうだめ、時間、リミットは迫っている」と思って今回もほぼ無理やり「いこうよ」って「いつまでも だめだぞそれじゃ」って言って「わかってはいるんですけど」 みたいなそんな雰囲気でね」

 この日、出発の準備をする浅田さんの自宅に侑大さんが姿を見せました。

 侑大さんは、1月1日の地震で祖母のみち子さんを亡くしました。

 母「この子がおばあちゃんに70歳の時の誕生日にあげた指輪を亡くなってから外したんですけど。この子が大切に持っている。私の母、おばあちゃんも本当に活躍をすごく楽しみにしていたのでまた続けてくれるのが良かったなと思って」
 
 侑大さん「電話をもらったときは…やっぱりほっとするというか、見放されている感じじゃないというか一緒に頑張っていくというエネルギーを感じた」

 珠洲市からおよそ200キロ離れた福井県坂井市。

 県外での合宿はこれが2回目です。

 震災前から交流があった坂井高校のウエイトリフティング部が、浅田さんたちとの練習を快く受け入れてくれました。

 ウエイトリフティングは段々と重りを上げて自分の限界に挑戦する競技。

 他の選手と一緒に練習することで、いつも以上に自分の力を発揮することを浅田さんは期待していました。

 新記録に挑戦するときは声をかけあいます。

 拍手が記録を達成した証です。

 手つかずの崩れた建物が残るふるさとにまだ復興の道筋は見えません。

 それでも、彼らを突き動かすものは何か。前を向いていられるのはなぜか。

 浅田さんが、子どもたちに言い続けてきた言葉があります。「どうせやるんだったらてっぺんに」。

 浅田さん「子どものときから何があっても動じない心とか、こういう状況のときに、追い詰められたときに力を発揮するみたいな、そういう風に育ててきているつもり」

 たとえ辛いことがあっても全力で打ち込んできたものがある人は強い。
 
 そう、彼女に教えられた気がします