能登半島地震の発生から半年 被災地支援続ける米沢市の消防士「災害時に活用できるものを身近に」
能登半島地震の発生から1日で半年が経ちます。今も現地では2288人が避難所で生活をしています。そうした中、米沢市に今も被災地支援を続けている男性がいます。被災地で知った自分や身近な人を守るために必要なことを聞きました。
6月27日、米沢市。
「登ります!」
米沢市の我妻清和さん(41)。市内で消防士として働くかたわら休日には消防士の技能を生かした技術ボランティアとして仲間とともに能登半島に支援に行っています。この日は、市内で能登半島でも一緒にボランティア活動をした、消防士の後輩とともにロープで木に登り高所でチェーンソーを使う訓練などを行っていました。
我妻清和さん「木を切るときにワークポジションといって自分の体勢をとらないとうまく活動できないので難しい。大きな地震が来て揺れた建物は不安全なのでその上で作業するのは余震が来た時に危険が伴う。やらないと分からないので 遊びながら覚えてって何かは役に立つと思うので」
我妻さんは、高い専門性を持つ消防士などで組織する技術系災害ボランティアネットワーク「DRTJAPAN」の1人です。DRTJAPANは、災害時に道路に溢れるがれきや倒木の撤去など、専門技術を生かしたボランティア活動を行っていて、県内には主に消防士合わせて10人のメンバーがいます。
DRT JAPANYAMAGATA我妻清和さん「我々(DRT)は技術系のボランティアネットワークニーズは様々あるが一般ボランティアが危険で入れないところを重機やチェンソーなど技術を持った我々で支援のために活動している」
我妻さんたちが最初に能登半島に入ったのは、発災から2日後の1月3日。ほかのボランティアと車で片道15時間の道のりを進み、能登半島に入りました。
我妻清和さん「最初はひたすら道路啓開(路上のがれき撤去)をしていた。住宅街は建物の倒壊や電柱が倒れ助けに行くにも道路が寸断されている状況。重機もあったので道を作る作業をしていた」
以降、これまでに合わせて19回現地に入り、倒壊家屋の木材撤去など現地での復旧支援を行っています。我妻さんは今回の地震で、いかに自分の身を守るか、そして、周りの人の命を救うために協力する重要性を感じました。
見せてくれた一枚の写真。この倒壊した家屋の下に置かれているのは、車のタイヤ交換の際、車体をもち上げるために使う「パンタグラフジャッキ」です。
我妻清和さん「これどうしたのと聞いたら家の中におばあちゃんがいて近所の人が集まって今あるもので助けようとしたということだった」テーブルの下に隠れて助かったといった人は結構いた。
家に閉じ込められた人を助け出すために活躍したジャッキ。災害時に地域の人たちがこのジャッキを救助に使おうと思いついたのです。
我妻さん「梁などがテーブルにあたってつぶれなかった。脱出できなくても命は助かった人もいたし地域住民が声を掛け合って助けられた人もいた」
普段から災害時に活用できる道具が身近にあるかを考えること。そして自分や家族の命を、地域でどう守れるのか、災害の状況に合わせたイメージをあらかじめ持つことが重要ではないか。我妻さんは講演を通して県内の人たちに伝えています。
我妻清和さん「大きな地震があればなかなか公的な助けが届きづらいと思う。 自分の家の頑丈な場所を考えておくとか家族会議をするとかまず自分の命をどう守るのか少しの時間でいいのでイメージしたり他の災害を見てみたりしてほしい」
我妻さんたちは、これからも石川県でボランティアを続けます。