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上皇ご夫妻 バルト3国訪問 苦難の歴史と文化に触れた旅【皇室 a Moment】

2022年3月20日 12:17

ひとつの瞬間から知られざる皇室の実像に迫る「皇室 a Moment」。上皇ご夫妻は2007年、旧ソ連の支配から独立を回復したバルト3国を訪問されました。苦難の歴史と文化に触れた旅を、日本テレビ客員解説員の井上茂男さんと共にスポットを当てます。

■旧ソ連に支配された国々への歴史的な訪問

――こちらはどういう場面でしょうか

バルト3国のひとつ、ラトビアの首都リガにある「占領博物館」で、ソ連が支配していた時代の強制収容所の再現コーナーを視察される天皇皇后時代の上皇ご夫妻です。ラトビアは旧ソ連に併合され、指導的立場にあった人たちの多くが旧ソ連のシベリアの収容所に送られました。

2007(平成19)年5月、上皇ご夫妻はスウェーデンと英国の訪問の間に、エストニア、ラトビア、リトアニアの「バルト3国」を1日ずつ訪ねられました。旧ソ連邦の支配下にあった国々への初めての、そして歴史的な親善訪問で、各国で熱烈な歓迎を受けられました。

いま、ウクライナへのロシアの軍事侵攻が激しさを増していますが、バルト3国もウクライナと同様、1991(平成3)年のソ連崩壊で独立を回復した国々です。ソ連崩壊前後の動きは、平成という時代の始まりとちょうど時期が重なり、当時、上皇ご夫妻はこうした動きを大きな関心を持って見守られていたそうです。

バルト3国は、ロシアの西、バルト海の沿岸にあります。北からエストニア、ラトビア、リトアニアがあります。人口130万から約300万人の国々です。南側のベラルーシを挟んで、ロシアの侵略にさらされているウクライナがあります。

バルト3国は、ロシア革命を受けて、1918(大正7)年にそれぞれ帝政ロシア領から独立を宣言しましたが、1940(昭和15)年にソ連に併合されて独立を失い、先の大戦では、ドイツとソ連の戦いの戦場となって多くの命が失われました。

その後、ソ連の崩壊で1991(平成3)年に独立を回復し、レーニンの像が撤去されました。ソ連の支配下にあった国は15の独立国に分かれましたが、真っ先に独立を回復したのがバルト3国でした。現在ではEU、NATOに加盟しています。ご訪問は独立から16年後でした。

訪問前の記者会見で上皇さまは、「それぞれの国の苦難の歴史に思いを致し、それぞれの文化に対する理解を深め、我が国とこれら3国との相互理解と友好関係の増進に尽くしたいと思っています」と語られました。

■「歌う革命」 独立を後押しした歌声に触れたエストニア

2007年5月24日、上皇ご夫妻は、スウェーデンからまずエストニアに入られました。ご夫妻が、首都タリンで足を運ばれたのが「歌の広場」です。ご夫妻はすごい歓声で迎えられ、取材をしていた私もびっくりしました。

この「歌の広場」は、合唱が盛んな国エストニアの人々にとって有名な演奏会場というだけでなく、独立と深い関係のある特別な場所です。ソ連が支配した時代の末期の1988年、この「歌の広場」で行われた「歌の祭典」におよそ30万人もの人々が集まり、自由と独立を求める歌声を響かせました。これがその後の独立運動を後押しし、1991年の独立回復は「歌う革命」とも言われています。「歌の広場」はエストニアの独立運動の原点とも言える場所です。

両陛下はその広場でエストニアの人々の美しい合唱を耳にされました。今も5年に一度、数十万人が集まって「歌の祭典」が行われていますが、訪問された日は3700人が集まってリハーサルに臨んでいました。広場訪問はテレビで中継され、国民の関心の高さをうかがわせました。「歌の祭典」はエストニアの人たちのアイデンティティーの象徴だそうですから、訪問は歴史と伝統を尊重する、最大の敬意の示し方だったと思います。

お発ちの時は大歓声が起こり、お二人は手を振って感謝の気持ちを表されました。エストニアの人々も「わくわくしました。天皇陛下を近くで見られて幸せです」などとインタビューで語っていて、心から喜んでいることが感じられました。

■「占領博物館」 ソ連時代の労苦に思いを馳せたラトビア

続いて訪問されたラトビアでは、「自由の記念碑」を訪ねて大統領と並んで供花されました。この記念碑は、1935(昭和10)年に独立を記念して建てられた高さ約50メートルの塔です。ソ連に支配されていた時代は独立運動の象徴になり、近寄ることも禁じられていたそうです。

その後、訪ねられたのは「占領博物館」です。ナチス・ドイツや旧ソ連の占領時代の資料が展示されている建物です。ここには、旧ソ連占領下に、ラトビア人が送られたシベリアの強制収容所を再現したコーナーなどがあり、ご夫妻はラトビアの人たちの労苦に耳を傾けられました。展示の中には、ラトビアの人が日本人の抑留者から贈られたメガネやこけしもありました。極限状態にあって日本人とラトビアの人の間に温かいやり取りがあったことをうかがわせる展示品でした。ご夫妻は厳粛な面持ちでご覧になりました。

■「血の日曜日事件」の遺族に接し、杉原千畝の碑を訪ねたリトアニア

最後に訪問されたリトアニアでは、大統領と「アンタカルニス墓地」を訪ねられました。1991(平成3)年、独立を守ろうとした人たちが旧ソ連軍に制圧される「血の日曜日事件」があり、その犠牲者14人が眠る墓地です。ご夫妻は犠牲者の遺族の方たちの手をとられながら、「まだ若かったんでしょうね」「お寂しかったでしたね。大変な日々でいらしたでしょう」と声をかけられました。

この後、杉原千畝の「記念碑」も訪ねられました。「命のビザ」で知られる杉原千畝は、先の大戦前、領事代理としてリトアニアのカウナスに滞在し、ナチス・ドイツから逃れてきたユダヤ人難民に日本通過のビザを発給し、多くの命を救った外交官です。

夕方からは、大聖堂前の広場を訪れ、「民俗祭」をご覧になりました。リトアニアもエストニア同様、歌声が独立運動を推し進めた「歌う革命」の国です。ここでもご夫妻は歌や踊りをご覧になりました。この日、約3000人の市民が集まり、リトアニア語で「ありがとう」という意味の「アーチュー」「アーチュー」と大声を上げて歓迎し、両陛下は、すぐ近くまで駆け寄って、笑顔で応じられました。思い出すのは、フェンス越しに花束を差し出す子どもがいて、和服の上皇后さまが花束を受け取られる光景です。歓迎の気持ちが伝わってきました。

私も取材していましたが、ご夫妻が出発された後、参加者の男性から「日本人か」と英語で呼び止められ、「誠実な人たちだ」「来てくれてありがとう」と握手を求められたことを思い出します。その何とも言えない笑顔に、このご訪問がバルト三国の人たちの記憶に長く残るに違いないと思ったものでした。川島・元侍従長の「随行記」によれば、各国にとって、ご訪問は自分たちの国が国際社会の一員として迎えられた証し、と大喜びだったそうです。

■時期が重なる平成の始まりとソ連崩壊

年表をみると、日本では1989年1月に平成がスタートし、翌年11月に即位の礼が行われます。この間、ベルリンの壁の崩壊があり、リトアニア、ラトビア、エストニアの独立宣言があって、1991年12月にソ連邦が消滅します。平成の皇室の活動の始まりと、ソ連崩壊による秩序の大きな変化とが、ぴったり時期が重なります。

1991年に上皇后さまが詠まれた和歌があります。

鳥渡る
秋空を鳥渡るなりリトアニア、ラトビア、エストニア今日独立す

歌からも、バルト3国が独立を回復していく過程を大きな関心をもって見守られていたことが分かります。

また、上皇さまはエストニアでのスピーチで独立回復の歴史に触れ、「私が即位いたしましたのは1989年のことでありましたが、この年、バルト3国においては、タリンを起点として3か国を繋ぐ「人間の鎖」が出現し、世界の注目を集めました。そして、1991年、その3国が、旧ソ連邦からの初めての独立国になったとの報せに接し、歴史の大きな流れに深い感慨を覚えたことを思い起こします」と述べられています。

「人間の鎖」というのは、約200万人が600キロにわたって鎖のように手をつなぎ、独立の意思をアピールしたことを指しています。そのリトアニア側の出発点が「民俗祭」をご覧になった大聖堂前の広場でした。

3か国の訪問で印象的だったのは、上皇后さまの装いです。それぞれの国旗の色を衣装に取り入れられていました。エストニアは青・黒・白を、ラトビアはエンジと白を、帽子と洋服に取り入れ、リトアニアでは黄・緑・赤の3色を胸元のコサージュにあしらわれていました。各国に心を寄せる、細やかな心配りだったと思います。

■即位の礼で来日していたウクライナのゼレンスキー大統領

そして、バルト3国と同様に旧ソ連に支配された苦難の歴史があるウクライナが、いま、ロシアの激しい武力侵攻にさらされています。あまり知られていませんが、ゼレンスキー大統領は2019年の即位の礼のために来日し、天皇皇后両陛下は大統領の祝意を受けられています。ラトビアで思いがけないことを言われたのを思い出します。「日本とラトビアは近いです。間にあるのはロシア1国ですから」と。その伝でいけば、ウクライナもまた近く、遠い国ではないんですね。

■上皇ご夫妻も天皇皇后両陛下もニュースを注視

上皇ご夫妻も、天皇皇后両陛下も、ロシアのウクライナ侵攻のニュースを注視されているそうです。歴史に学び、機会があるごとに平和の大切さを語り、戦争の犠牲者の慰霊に努めてこられた上皇ご夫妻、そして両陛下です。目を覆うような日々のニュースを、一日も早い平和を祈りながらご覧になっていると思います。

【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。

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