サンドウィッチマン・伊達みきお「何でもない日常が続くって、有り難い事」 伝承したい3.11の教訓
東日本大震災から12年 胸中を明かした伊達みきおさん
宮城県仙台市出身のお笑いコンビ、サンドウィッチマンの伊達みきおさん(48)が11日、自身のブログを更新。東日本大震災の発生から12年、現在の胸中を明かしました。
2011年3月11日に起きた東日本大震災。当時、伊達さんはテレビ番組のロケのために訪れた宮城・気仙沼市で被災。それ以来、毎年気仙沼市を訪問してきました。今年も気仙沼市を訪れた伊達さんは、「今年も3月11日がやってきた。我々も気仙沼にやって来た。12年ですねーとか、あれから12年ですけどいかがですか? とか、色々聞かれますが。何と言うか、、10年以降は、何年とかじゃなくて、3月11日ですねっていう感覚が主でしょうか」とコメント。
そして、「今日も、とても暖かい1日でした。12年前は、雪が降って凄く寒かった。同じ日なのに、こんなに違うんだよなぁ。違う日みたい」と震災当日を振り返った伊達さん。改めて震災や津波対策の大切さについてコメントしました。
「気仙沼、リアスアーク美術館の方が言ってました。『未曾有の災害とか、想定外の被害だったとか言うが、違うと。東日本大震災クラスの津波は、調べれば以前もあったと。慶長大津波しかり、明治時代にも昭和初期にも、チリ地震津波の被害も。。ちゃんと、後世に伝承してないからあんな大きな被害が出てしまったんだと。そして、いずれまた必ずくる震災・津波に備えられるかが大事な事。東日本大震災を経験した人がそれを伝えていかないと、また同じ被害が繰り返される」とつづりました。
さらに、伊達さんは「宮城県の海沿いは、7メートルの防潮堤で囲まれている。震災後に生まれた子供達は、それが当たり前になる。何故、こんな高いコンクリートの壁が海沿いにあるの? って事も思わないだろうな。。だから、しっかりと伝承していかなければならない。何でもない日常が続くって、有り難い事なんだと。この日は、そんな事を考える1日になれば良いと思います。(被災地の人は)みんな本当に頑張ってる。これからも、我々ごときですが何度も何度も来たいです」と、震災の教訓を子どもたち世代に伝えていくことを改めて決意しました。
2011年3月11日に起きた東日本大震災。当時、伊達さんはテレビ番組のロケのために訪れた宮城・気仙沼市で被災。それ以来、毎年気仙沼市を訪問してきました。今年も気仙沼市を訪れた伊達さんは、「今年も3月11日がやってきた。我々も気仙沼にやって来た。12年ですねーとか、あれから12年ですけどいかがですか? とか、色々聞かれますが。何と言うか、、10年以降は、何年とかじゃなくて、3月11日ですねっていう感覚が主でしょうか」とコメント。
そして、「今日も、とても暖かい1日でした。12年前は、雪が降って凄く寒かった。同じ日なのに、こんなに違うんだよなぁ。違う日みたい」と震災当日を振り返った伊達さん。改めて震災や津波対策の大切さについてコメントしました。
「気仙沼、リアスアーク美術館の方が言ってました。『未曾有の災害とか、想定外の被害だったとか言うが、違うと。東日本大震災クラスの津波は、調べれば以前もあったと。慶長大津波しかり、明治時代にも昭和初期にも、チリ地震津波の被害も。。ちゃんと、後世に伝承してないからあんな大きな被害が出てしまったんだと。そして、いずれまた必ずくる震災・津波に備えられるかが大事な事。東日本大震災を経験した人がそれを伝えていかないと、また同じ被害が繰り返される」とつづりました。
さらに、伊達さんは「宮城県の海沿いは、7メートルの防潮堤で囲まれている。震災後に生まれた子供達は、それが当たり前になる。何故、こんな高いコンクリートの壁が海沿いにあるの? って事も思わないだろうな。。だから、しっかりと伝承していかなければならない。何でもない日常が続くって、有り難い事なんだと。この日は、そんな事を考える1日になれば良いと思います。(被災地の人は)みんな本当に頑張ってる。これからも、我々ごときですが何度も何度も来たいです」と、震災の教訓を子どもたち世代に伝えていくことを改めて決意しました。