ピーコさん死去 双子で支え合い乗り越えてきた人生「生まれたときからいつも一緒にいた“おすぎ”」
ピーコさんは、自身の著書『片目を失って見えてきたもの』(サンマーク出版)で双子の弟・おすぎさんについて、「一番身近な存在」と呼び、「外で何か問題があっても、おすぎと話していれば自然に解決していた」とつづっているほど、特別な存在だったことがうかがえます。
また、「おすぎと仕事をしていると自分を見つめる、いい刺激になる」、「自分の物の見方を見つめ直す、いい相手になっている」と共に仕事する仲間としても信頼していました。
■芸能界に入る前の社会人時代
高校を卒業しそれぞれ社会人として働いていた時代に、おすぎさんは会社から帰ってくるとワンワン泣き、そのうち泣き疲れて寝てしまうという生活をしていたそうです。当時を振り返りピーコさんは自身の著書で、「小さいときから、一緒の服を着て、同じように生活してきたふたりですから、おすぎが泣けば、私の心も共鳴して震えるのです」とおすぎさんの心痛を感じていたことを明かしました。泣いて帰ってくる度に、なんとか1年だけ我慢して働くようにおすぎさんに説得をしていたといいます。
■ピーコさんにがんが見つかった時に支えたのはおすぎさん
1975年に双子タレント“おすぎとピーコ”として、芸能界デビューすると、息ぴったりの掛け合いや毒舌を交えた軽快なトークで様々なテレビ番組に出演しました。テレビ出演で人気を博す一方で、1989年にピーコさんは30万人に1人という珍しい腫瘍を患いました。著書では「ガンだと告知されたときのショックは、たとえようもありません」と当時の心境を語っています。
この時、おすぎさんはありとあらゆる仕事を全て引き受け、毎日忙しくしていたそうです。「(病気と)闘うためには経済力は必要だし、今投げ出してピーコのそばにいようとは思わなかったですね。とにかく受けた仕事を全部こなすことを考えなきゃいけない。だからピーコの分で受けた仕事で代われるものは代わるという形でやった」とテレビカメラの前で語っていました。
相手がつらい立場の時に、お互い支え合ってきたおすぎさんとピーコさん。ピーコさんの著書の最後には、おすぎさんの「もちろん、いつ、何が起こるかなんて、神の身でない私にはわからないし、『ガンバッテ』生きる必要はないけれど、生きていれば、何か楽しいことはあるはず、と楽天的に考えてみてもいいのではないでしょうか。『できれば、私を送ってくれてからではどうでしょう?』『いやよ、バカな人ほど長生きするから……』って声が聞こえてきそう」と言葉が添えられています。