【女性が抑圧から解放された瞬間】湯川れい子が語るビートルズ来日で日本が変わった
■遅れていた日本
ビートルズ(1962年デビュー)は、東京オリンピックの年(1964年世界進出)に出てきた人たちですから。それから2年後の1966年に日本に来るわけですね。ということは、その間にはもう数多くのシングルがナンバーワンになっている。もう大変な人気で、日本に来るっていうだけでものすごい騒ぎになるんですけど。
それでも日本は遅れていたのかな。
「オリンピックのために建てた“神聖な武道の殿堂”である武道館に、あんな髪の毛の長い、薄汚い、何だかわからないものを出してはいけない」みたいな変な反対運動もありましたし、毎日街宣カーを走らせていた人たちもいたんです。
まだその頃は後楽園球場には屋根がなかったから、日本で1万人以上入る会場は武道館しかなかった。
■女性の「キャー」という歓声は“はしたない”ことだった
私自身の経験の中でも、会場を埋めた8000人近い観客のほとんどが女の子というのは初めて。98%ぐらいが女の子のファンだったんですけど、その女の子のファン8000人が「キャー、キャー」って叫ぶ声っていうのは、本当にものすごい。何か巨大な渡り鳥の団体の声のように、何かすごく可愛らしくてきれいで、今でも耳に残ってますね。
その「キャー」って一種の方向性を持たないエネルギー。今だからはっきりと言えるんだけど、日本は初めてそういう現象が起きて、それにみんなが戸惑ったんです。
アメリカは、戦前の1940年代にフランク・シナトラが出てきた時に、ニューヨークのファンが取り囲んで「キャー」っていうとんでもない現象が起きてるわけですね。その後、エルヴィス・プレスリーでも(同じ現象が)起きるんですが、戦前のシナトラで許されていました。
でも、日本はそういう経験はほとんど初めて。50年代の終わりのいわゆるロカビリー、日劇のウエスタンカーニバルでも起きた現象なんですけど、女の子の「キャー」っていうのは、それは“はしたない”“みっともない”ことだって、ずっと抑圧されてきてたんですね。
■抑圧から解放された瞬間だった
だから、私たちにしてみたら、あの時ビートルズが来て「キャー」ってあれだけの大きな声を女の子が初めて出せたんです。でも、それに対して警備してた日体大の学生とかが、「座って聞け」とか、「ギャーギャー言うな」とか言って大変だったんですよ。「何でこんなことが起きるんだ。何でこんなみっともないことをやるんだ」って。まだ日本は全然そういう感じ。
だから、ビートルズの合同記者会見で彼らがステージに出てきた時に、私が「キャーッ、ポール」って叫んだら、翌日の新聞に“恥さらし”って書かれましたよ。
だって、あの時、その「キャー」っていう衝動を抑えられなかったから、うれしくて。それには何の方向性も欲もない。“一種のときめき”ですよね。“生きる喜び”ですよね。
ただ、それは日本の場合、戦前にはあり得なかったです。戦後やっと初めて解放された姿だったんだと思います。
だから、私から見ると、あの8000人の女の子が何の方向性も持たない、ただうれしくて「キャー」って言ってる声は、小鳥の集団のように聞こえたんです。きれいでした。かわいかった。