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「別に女になりたかったわけじゃない」 性別適合手術を選んだ理由 カルーセル麻紀81歳、差別や偏見と“戦い”の人生

2024年5月26日 8:21
「別に女になりたかったわけじゃない」 性別適合手術を選んだ理由 カルーセル麻紀81歳、差別や偏見と“戦い”の人生
30歳の頃のカルーセルさん。ビクターレコードのジャケットより
LGBTQという言葉が広まる前から、性的マイノリティーの先駆者として芸能界を生きてきたカルーセル麻紀さん。30歳を前に決断したモロッコでの性別適合手術について聞くと、「別に女になりたかったわけじゃない」と語り、その理由を話してくれました。

■下品な演出が「すごく嫌だった」 生放送中にテーブルひっくり返し

──20代となった麻紀さんはテレビの世界にも進出。グラビアや日劇での出演のほか、店にも出続けるなど、売れっ子となった。その一方、街中で指をさされるようなことも多くなった。

悪口言われても、バカにされても、(全て腹に)しまっておけばいいと思っていた。

ワイドショーに出て、カーテンの下から足だけ出して、“この人は男でしょうか、女でしょうか”なんてやってたんですよ。「ヒールを履いているから女じゃないの?」「いや、男かもしれない」なんて。

街の歩いてる人たちに「カルーセル麻紀を知ってるか」とインタビューして、「知ってる。オカマだろ」と言わせるようなこともあった。本番中に生放送で、テーブルをひっくり返して、帰ったことありますよ。今、新橋にあるテレビ局ですけれども。それをやってから「カルーセルを生放送で使うな」と広まりました。

だって、失礼なこと言われたら、笑ってられないもの。(下品な演出が)すごく嫌だった。

■行くところはモロッコだと決めていた

──その後、睾丸摘出手術に続き、性別適合手術を受けることを選びました。

その頃の肩書きは女優でもなんでもない。「私ストリッパーです」って、ストリップに誇りを持っていました。女性ストリッパーはステージで小さな下着をつけていたけれど、私は(男性器が)ついているから。セロハンテープで貼っていたけど、激しい動きができないんです。もう、ハサミで切りたいくらい邪魔だった。

別に女になりたかったわけじゃないの。ダンサーとして、ストリッパーとしてやりたかったんです。

パリから来てた、一緒にステージをやったり、テレビに出たりしてた友達がいっぱいいたんです。その友達から、モロッコで性別適合手術を受けた人のことを聞いていたんです。だから私はもう、行くとこはモロッコだって決めていたんです、日本じゃできないから。

■手術後に高熱が出て… モロッコには40日間滞在

──そして1973年、モロッコで手術を受ける

行って砂漠の中ですよね。そしてカサブランカ。たまにラクダやロバがいるくらいで、はるか向こうに白い家が出てきたな、と思ったら、そこが産婦人科でした。

一緒にいった友達が先に手術を受けて、大体2時間くらいしたら帰ってきました。私も注射を2回打たれて、オペ室に。“どうやってするのかな”と思って見たんだけど…。夢から覚めたら3日たっていました。

目が覚めたとたん、「ああ良かった!なくなってる」と見て思いました。忌まわしいものがなくなっている、と。うれしかったですよ。

だけど術後、どんどん高熱が出てしまった。3時間くらいで着ていた浴衣もぐしょぐしょになるくらい。友達は大丈夫だったけど、私は全然退院できなくて。熱が出てて一人になって寂しいし、小さい部屋に移されて泣いてました。結局モロッコには40日間いました。

■戸籍が変わって、名前が変わって できると思わなかった

──カルーセルさんは2004年に戸籍上も女性となり、“平原麻紀”と改名しました。法律が変わったことなど、いまの状況をどう見ていますか?

すごくいいことだと思いますよ。みんなよく頑張ったじゃない。政府も世間も認めてくれたじゃない。でもね、あたしたち“少数派”なの、少ないの。だから、私が生きていて、こんな戸籍が変わって、名前も変わって、とできるとは思わなかった。

苦労しましたよ。精神科に行ったり、いろんな弁護士さん連れて裁判をやったり。でも、それは、あたしが最初にやればみんな楽になると思ったんですよ。

──カルーセルさん自身、今後こういうことをやりたいという夢はありますか?

ないわよ、あんた!あるわけないでしょう!81歳だよ、あたし。

──夢はないですか?

夢は好きなお酒飲んで、煙草を吸って、おいしいものを食べて、来た仕事を受けるだけ。後はもう行くだけだよ、天国へ行くか、地獄へ行くか、分かんないけれども。多分私は化けて出てくると思うけど。

今こうやって取材を受けて、楽しくしゃべって。これで十分。言いたいこと言ってます。