林家木久扇 86歳 『笑点』最後の収録 番組への願い「基本に返ってやれば100年続く」
■三遊亭小遊三「バブルのときに」 木久扇さんの思い出振り返る
収録後の会見で、木久扇さんに送るメッセージを聞かれた笑点メンバー。司会の春風亭昇太さん(64)は「子どもたちに笑点メンバーで何色の人が好き? と聞くとみんな口々に黄色いおじさんって言うんですよね。僕も子どものとき好きだったし、すごくわかりやすい笑いを提供してくれた貴重なメンバーなので、今回の卒業は残念ではあるんですけど、感謝しかないなと思っております」と感謝を伝えました。
三遊亭好楽さん(77)は「ずっと手を取り足を取りいろんなマナーとか、いろんなところに連れていってごちそうしてくれたり、いろんなことを私に教えてくれた方なんで、恩人中の恩人なんですよ。こうやって(卒業の)セッティングされると言葉がなくなっちゃうくらい、つらいところがあります。ずっとずっと元気でいていただきたい」と、胸の内を明かしました。
三遊亭小遊三さん(77)は、笑点メンバーに加入したときのことを振り返り「落語家なんだから落語さえやっていればいいだろうと思って毎日生活していたのが、木久扇師匠を見たら、まあいろんなことをやっていましたね。月にいっぺん本を出していたくらいのバイタリティーでございましたよ」と、当時の驚きを告白。続けて「バブルのときに株の買い方に乗っかって(木久扇さんが)本を出したんですよ。途端にバブルがはじけましてね。そのとき林家こん平師匠の喜んだこと。でも本当にいろいろ勉強させてもらいました。ありがとうございました」と、笑いをまじえて感謝を伝えました。
■林家たい平、木久扇さんは「大きな太陽のような存在」
林家たい平さん(59)は「笑点にこん平の代役で入ったときにも、一番先に直筆のお手紙をいただいて、『絵が描ける君が笑点のメンバーになってくれてとってもうれしいよ。一緒に頑張ろうね』っていうお手紙をいただきまして、今でも大切にしています」と思い出を語り、「木久扇師匠の存在は笑点にとって大きな大きな太陽のような存在でした。師匠方が作ってくれた笑点、もっともっと面白いねって木久扇師匠が言ってくれるように頑張ろうと思いますので、いつまでもご指導、見守っていただければと思います」と、意気込みを語りました。
春風亭一之輔さん(46)は「『いやんばか~ん んふ~ん』というのは多分世界で一番くだらないフレーズだと思うんですけど。我々が言ったってどうしようもならない言葉だし、その言葉を55年間言い続けて、自分の世界を作ってきたっていうのは、ものすごい芸人だなと思います。こういう人には僕はなれないし、そんなになりたくないとも思ってますけど(笑)それは唯一無二ということでございます。これからは体に気をつけて寄席の方でも面白い話を聞かせてもらえたらなと思います」と、時折イジりながらコメントしました。
桂宮治さん(47)は、笑点メンバーに加入した当時を振り返り「初めての収録の前日って本当に怖いんですね。子どものときから見ている番組のレギュラーになってうれしいけどどうすればいいんだろうっていう、恐怖しかなかったときに、木久扇師匠から自宅に一本電話をいただいて“もう家族なんだよ、ファミリーだからね。何やっても全部返してあげるから、安心して来なね”って。それで初めての収録を迎えることができて、木久扇師匠がいなかったら今みたいに自由にできる僕はいなかったと思う」と、声を震わせながら感謝を述べました。
山田隆夫さん(67)は「“ずうとるび頑張ってね”って52年前からずっと応援してくれて、本当に木久扇師匠ありがとうございました。本当に感謝してます」と目を潤ませながらコメントしました。
■林家木久扇「ああいうのを目指すと笑点じゃなくなっちゃう」
木久扇さんは新たなメンバーについて「このあと、私のところに数あわせになる人はお気の毒だと思う。そんなにいろんなことはできないでしょうし」とボケつつ「私はうんと若い人が入るんじゃないかと思う。その方に笑点のこれからの可能性は懸けております」と期待を寄せました。
その上で「他の局がやっている、ひな壇に並んで、お互いの面白いことの言いっこをして、それで自分たちだけで面白くて終わるという、ああいうのを目指すと笑点じゃなくなっちゃう」と話し、「面白い答えには座布団、つまらなかったら取りますという基本に返ってやれば、私は笑点が50年100年続くんだと思います」と思いを明かしました。
そして笑点メンバーに対して「いま演芸の窓口、落語の窓口がない。笑点1つなんですよね。お薬出してくれるのが笑点だけでして、そのつもりでみなさんで張り切ってやっていただきたいと思います。頑張ってください」とエールを送りました。