デヴィ夫人「きれいでピチピチして英語ができた」 スカルノ元大統領との運命の出会いを告白
スカルノ元大統領との出会いを告白したデヴィ夫人
タレントのデヴィ夫人が18日放送の『おしゃれクリップ』に出演。現在、活動の8割は難民と被災者支援のために世界中を訪れていると語る夫人が、スカルノ元大統領との出会いやプロポーズの言葉について告白しました。
MCの山崎育三郎さんが「インドネシアの大統領とご結婚されたってことは、元々お嬢様だったんですか?」と尋ねると、デヴィ夫人は「いえいえ。 “いつも豪華な宝石を付けて、高価なドレスを着て、Jet set life(裕福な生活)を満喫している。ラッキーね”って思ってる方がいるかもしれないんですけど、それは心外というか間違い」と語りました。
早くに父を亡くし、戦後厳しい暮らしの中で、母と弟を養っていたというデヴィ夫人。山崎さんが「苦労されていた少女がどのようにして、スカルノ大統領と出会って結ばれていったのか?」と尋ねると、「私、お友達と映画を見に行く約束をして、その(映画館の)横が帝国ホテルのプルニエというところだったのね。そこで待ち合わせをして、そこに大統領の御一行が歩かれて、出会って」と、まさかの出会いだったことを告白。
続けて「その後、御一行の副官の方から、“もしここで待っていらっしゃるのでしたら、今、上でお茶会をやってますから、お茶会で時間をつぶしませんか?”みたいなことで、それで呼ばれて行って、お部屋に通されたら、両側にずらっと人が並んでいて、その中央に大統領がいらして」と、まるで映画のような展開だったことが明かされました。
MCの井桁弘恵さんが「なんで大統領は大勢いる中からデヴィ夫人を?」と質問すると、デヴィ夫人は「それはやっぱり私がきれいでピチピチして」と即答。「ピチピチして!」と山崎さんと井桁さんが反応するも、続けて「それと英語ができた。あの時代、日本人で英語ができる人っていうのは本当にまれだと思います。ですから、スカルノ大統領と会話ができた。それが一番大きいと思います」と説明しました。
デヴィ夫人は最後に「初めて2人きりになって、夕方、大きな太陽がヤシの木陰に沈む時、“私のインスピレーションとなって、私の力の源泉になってください。私の人生の喜びとなってください”って言われたのね。こんな美しい言葉のプロポーズってあるかしら。100年生きてもこんな言葉を言う人は現れない」と、当時を振り返りトークを締めくくりました。
MCの山崎育三郎さんが「インドネシアの大統領とご結婚されたってことは、元々お嬢様だったんですか?」と尋ねると、デヴィ夫人は「いえいえ。 “いつも豪華な宝石を付けて、高価なドレスを着て、Jet set life(裕福な生活)を満喫している。ラッキーね”って思ってる方がいるかもしれないんですけど、それは心外というか間違い」と語りました。
早くに父を亡くし、戦後厳しい暮らしの中で、母と弟を養っていたというデヴィ夫人。山崎さんが「苦労されていた少女がどのようにして、スカルノ大統領と出会って結ばれていったのか?」と尋ねると、「私、お友達と映画を見に行く約束をして、その(映画館の)横が帝国ホテルのプルニエというところだったのね。そこで待ち合わせをして、そこに大統領の御一行が歩かれて、出会って」と、まさかの出会いだったことを告白。
続けて「その後、御一行の副官の方から、“もしここで待っていらっしゃるのでしたら、今、上でお茶会をやってますから、お茶会で時間をつぶしませんか?”みたいなことで、それで呼ばれて行って、お部屋に通されたら、両側にずらっと人が並んでいて、その中央に大統領がいらして」と、まるで映画のような展開だったことが明かされました。
MCの井桁弘恵さんが「なんで大統領は大勢いる中からデヴィ夫人を?」と質問すると、デヴィ夫人は「それはやっぱり私がきれいでピチピチして」と即答。「ピチピチして!」と山崎さんと井桁さんが反応するも、続けて「それと英語ができた。あの時代、日本人で英語ができる人っていうのは本当にまれだと思います。ですから、スカルノ大統領と会話ができた。それが一番大きいと思います」と説明しました。
デヴィ夫人は最後に「初めて2人きりになって、夕方、大きな太陽がヤシの木陰に沈む時、“私のインスピレーションとなって、私の力の源泉になってください。私の人生の喜びとなってください”って言われたのね。こんな美しい言葉のプロポーズってあるかしら。100年生きてもこんな言葉を言う人は現れない」と、当時を振り返りトークを締めくくりました。