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稲垣潤一、『トヨタ MR2』に『ポルシェ 911』 49歳まで乗り継いだ“マニュアル車愛”

2023年10月14日 22:00
稲垣潤一、『トヨタ MR2』に『ポルシェ 911』 49歳まで乗り継いだ“マニュアル車愛”
歴代の愛車を振り返った稲垣潤一さん
『クリスマスキャロルの頃には』などのヒット曲で知られる、歌手の稲垣潤一さん(70)が、『トヨタ MR2』や『ポルシェ 911』など歴代の愛車とともに、これまでの歩みを振り返りました。

稲垣さんは1982年、28歳の時に『雨のリグレット』でデビュー。『ドラマティック・レイン』や『エスケイプ』、『夏のクラクション』など多くのヒット曲を世に放ち、ドラムをたたきながら歌う斬新なスタイルでファンを魅了してきました。1992年には今もなお愛される『クリスマスキャロルの頃には』でミリオンセラーを記録しています。

父親の影響で車に魅了されたという稲垣さんは、競技レースの参戦経験も持つほどの車好き。そのため過去の愛車はマニュアル車ばかりだといいます。

■初代愛車『トヨタ カリーナ』 ドラムセットの運搬に大活躍

稲垣さんが免許を取得したのは23歳の時。ドラムセットを運ぶ必要があったために取得したそうで、1台目の愛車として『トヨタ カリーナ』を紹介しました。

1970年発売、“足のいいやつ”というキャッチコピーで人気を博したこの車。稲垣さんは「かっこいいな~」と思わず声を漏らします。選んだ理由について「僕が買ったのは『カリーナ 1600ST』。友達が乗って、“いい”って話を聞きつけて同じものを買いました。業者さんの所へ取りに行った時、初めての車だから助手席に父親に乗ってもらって、おぼつかない感じがまだありましたね」と思い出を明かしました。

約45年ぶりに車に乗り込むと「特有の匂いがあるじゃないですか。これやっぱ(当時を)思い出します。エンジンもパワフル」と走り心地を絶賛しました。

■風呂なし・4畳半 極貧時代を振り返る

子どもの頃から音楽好きで、中学3年生の謝恩会で初めてバンドとしてライブを行ったという稲垣さん。高校を卒業すると地元・仙台でハコバンド(クラブやダンスホールで生演奏するバンド)に加入し、東京に進出。19歳で1度目の上京を果たします。当時、家賃1万5000円、風呂なし、4畳半のアパートにバンド仲間2~3人で住み、日々さまざまな場所で演奏を行いお金を稼いでいたそうで「仕事は結構あったけどお金にはならなかった」と極貧生活を振り返りました。

しかし、ほかのバンドと交流する中で、そのレベルの高さに圧倒され、上京から1年で仙台に戻りました。皿洗いや古紙回収で生活をしのぎながら、ハコバンでの活動やデモテープの製作を続けていたといいます。

そして27歳で転機が訪れます。作り続けていた音源が、あるプロデューサーの目にとまり再び上京。1982年 28歳のときに、『雨のリグレット』でデビューを果たしました。当時について「デビューした実感がなかなかもてなくて。レコード店に行って自分のシングル盤を探しました。見つけて“デビューできたんだな”って実感した」とデビューを懐かしみました。

■車欲しさに“禁断症状” 軽乗用車初の“スペシャリティカー”

そんな稲垣さんですが、車への愛を抑えられず“禁断症状”が出たという経験をしたそうです。26歳の時にどうしても四駆に乗りたかったそうで『スバル レオーネ エステートバン』を購入しますが、上京するにあたり車を売却。しかし、上京まもなく車に乗りたい気持ちが抑えられず『ホンダ Z』を購入しました。

1970年発売、『ホンダ NⅢ 360』をベースに製造されたこの車。軽乗用車初のスペシャリティカーで、特徴的なバックドアガラスから“水中メガネ”という愛称で親しまれました。

稲垣さんは当時について「上京したてで、過去の車を全て手放してきたんです。売却して、0から始めようってことで。でもどうしても欲しくて、近くの中古店さんで20万円の『ホンダ Z』があったんですよ。これならなけなしのお金でなんとか買えそうだなってことで」と購入理由を明かし、「仙台と東京を3回ほど往復しました」と愛車との思い出を振り返りました。

■国内Aライセンス取得は『トヨタ MR2』

その後、31歳で夢だったという国内Aライセンス(国内競技運転者許可証A)を取得。資格取得の際に運転していたのが『トヨタ MR2』だといいます。

1984年発売、エンジンを運転席の後ろに搭載した日本車初の『ミッドシップレイアウト』を採用し、走りの楽しさを求める若者を中心に大ヒットしました。稲垣さんは赤色に乗っていたようで「走りはやっぱりミッドシップなので、FFとかFRとは乗り味が違うところが味ですよね」とスポーツカーを堪能しました。

ライセンス取得後はすぐレースに参戦、選手として5年ほど走っていたといいます。2013年には国内最高峰といわれるツーリングカーレース・SUPER GTで監督にも挑戦しています。

■『スバル 360』に家族4人 幼少期の思い出

31歳以降は、次々に車を迎え入れます。『トヨタ MR2』購入と同じ年に『ポルシェ 944』、34歳の時には『BMW M3』、36歳~40歳の間には『ポルシェ 911』シリーズ3台を2年おきに乗り継ぎました。

ほかにも『BMW Z3』、『BMW Mクーペ』と49歳までマニュアル車を乗りこなしてきた稲垣さんですが、現在はオートマ車『BMW M2』が愛車となりました。しかし、この車には後悔していることがあるようで「マニュアルにすればよかったな~。マニュアル遠ざかってると乗りたくなる。クラッチ踏みたい…」と走りでの“物足りなさ”を嘆きました。

そんな稲垣さんの前に、“思い出の1台”として現れたのは『スバル 360』。1958年発売、生産台数は約39万台で、国内のモータリゼーションの火付け役といわれる車です。

実は幼少期、稲垣さんの実家に来た第1号の車だったそうで「青葉城(仙台市)に行くまでが、すごく坂道で。車がヒイヒイいってる感じが伝わってきて、頑張ってるなって。この大きさで4人乗っているのがすごいですよね」と家族での思い出を明かしました。

■車は「ゾーンに導いてくれる装置」

歴代の愛車に触れ「いろいろ思い出がよみがえってきました。当時の車の匂い、車ってこういう匂いだったなって思い出しました」と話す稲垣さん。

最後に、“稲垣潤一さんにとって車とは?”という質問に「ゾーンに導いてくれる装置」と言い表しました。「ドラムをたたいて歌うとき、あるゾーンに入るんです。自分と、もう一人の自分をふかんで見ているような感じ。車でレースしてるときも同じで、運転してる自分がいて、もう一人の自分が見ている感じがするの。それが(ドラムと)一緒だなって」と長年愛してきた、ドラムと愛車を重ねて締めくくりました。

(10月14日放送のBS日テレ『おぎやはぎの愛車遍歴』を再構成)