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プロ野球解説者・江本孟紀、人生の目標や夢を紡いだ憧れのアメリカ車

2023年9月16日 22:00
プロ野球解説者・江本孟紀、人生の目標や夢を紡いだ憧れのアメリカ車
アメリカ車の魅力を語ったプロ野球解説者・江本孟紀さん
プロ野球解説者の江本孟紀さん(76)が、子供の頃から憧れを持つアメリカ車の魅力を明かしました。

江本さんは、東映フライヤーズ、南海ホークス、阪神タイガースのプロ野球3球団で活躍。また、“エモやん節”とも言える歯に衣着せぬ発言でも話題になりました。引退後は、プロ野球解説だけにとどまらず、作家や政治家、タレントなど幅広い分野で活躍しています。

参議院議員を務めていた時代の愛車『リンカーン タウンカー』に乗って登場した江本さん。アメリカ車が好きな理由について、「アメリカ車は子供の頃からイメージ的に、映画でもアメリカ映画から入って。僕らの時代で一番印象的な(ロック歌手)エルヴィス・プレスリーさんに憧れて。オープンカーの後ろに乗ってるような感じが華やかだった。アメリカ車は憧れの車の1つでした」と明かしました。

■南海ホークス時代 憧れの先輩のアメリカ車

数々のアメリカ車を所有してきた江本さん。その情熱はいまだに冷めず、遠くから迫るエンジン音を聞いただけで、「この音だ! 音で分かる」と、うれしそうな顔に。登場したのは、1969年式『フォード マスタング マッハ1』。マスタングに初めて登場した独立のスポーツグレードです。クーペやコンバーチブルはなく、ラインアップは、“スポーツルーフ”と呼ばれる流線型の形状・ファストバックボディーのみでした。この車は、1970年代の日本車のクーペデザインに影響を与えたということです。

江本さんが、『マッハ1』を初めて目にしたのは、プロ野球・南海ホークスに入団した1972年でした。「(当時)大阪球場の関係者入り口に止まっていた。慶応義塾大学のプリンスで、契約金5000万円のゴールデンボーイと呼ばれた渡辺泰輔投手の車だった。よく話を聞いたら、実家がめちゃくちゃ金持ちで、野球で稼いだものではなかったけど、超目立つ位置にマッハ1があった」と、振り返りました。

アメリカ車の魅力について、江本さんは「(車の)大きさと、地響きがある(エンジン)音。この傲慢(ごうまん)さがいいですよね」と明かしました。憧れの車のハンドルを握ると、「これ強烈ですよ。(アクセルを踏んで)ぶっ飛ばしたいね。速いでしょうねこれ」と、気持ちを高ぶらせていました。

さらに、江本さんには元野球選手ならではの持論があり、当時の野球選手の車の選び方には特徴があったそうで「ピッチャー型と、バッター型がいるんですよ。有名な打者は、だいたいスポーツカーが好きなんです。投手は、わりと落ち着いた大型車が好きなんですよ。僕はピッチャーなので」と明かしました。

■エルヴィス・プレスリーが愛した車

続いて登場したのは、ゼネラルモーターズ社製の車のなかでも特に人気の高い車種『キャデラック フリートウッド』。アメリカのロック歌手・エルヴィス・プレスリーさんは、ピンク色に塗装されたこの車を所有し、1955年に大好きな母親にプレゼントしたといわれています。

プレスリーさんの楽曲を、プロ野球選手時代によく聞いていたという江本さん。憧れの車のアクセルを踏んだ江本さんは「やっぱり音が最高! これ運転しやすいですよ、ハンドルがやたらデカいから。バスを運転しているみたい」と、プレスリーさんの楽曲『ブルー・ハワイ』を口ずさみながら運転。江本さんは「5歳ぐらい若返りました」と、憧れの車に満足した様子を見せていました。

■球界入りして初めて衝撃を受けたアメリカ車

最後に登場したのは、『リンカーン コンチネンタル マークⅢ』。従来、リンカーンはフォーマルな顧客を対象としていましたが、マークⅢはパーソナルユースの需要にも応えて設定。世界の高級車に並ぶ高品質車として、実質的に当時のアメリカの量産車としては、最も高価な車だったといいます。

この車は、南海ホークス時代にチームの監督を務めていた野村克也さんの愛車だったそうで、「(当時)大阪の中百舌鳥球場で、入団したばかりの僕たちが待っていたら、外野の方からこの車が来てグリーンのブレザーを着た野村さんが、開口一番に“お前ら俺みたいに、こんな車に乗りたかったら頑張れや”と言われた。かっこよかったですよ」と、球界入りして初めて衝撃を受けたアメリカ車だったそうです。

車の思い出について「(野村さんと)仕事で一緒になったときに、車で迎えに来てくれて、パッと見たらサッチ-(妻・野村沙知代さん)が車で待っていた。“うわー。会いたくないなあ”と思っていたけど、窓が開くと(沙知代さんから)“あんた!”と呼ばれるわけです。だから、一応車越しにハグしてあげて」と、エモやん節を交え野村夫妻との関係性を明かしました。

野村さんとの思い出の車の運転席に座り、江本さんは「運転しやすいんですよね。(乗り心地が)船だもん。(若手に対して)車を使ってパワーを見せつけていた。南海ホークスは伝統的に“グラウンドには銭が落ちている”から頑張れというのがあった」と、現役時代の教えを明かしました。

最後に、“江本さんにとってアメリカ車とは?”と質問すると「憧れです。夢のようなものを与えてくれる。自分の目標をアメリカ車がつないできてくれた」と、アメリカ車との出会いに感謝しました。

(9月16日放送のBS日テレ『おぎやはぎの愛車遍歴』を再構成)