美輪明宏 “同志”の寂聴さんに贈る言葉
歌手や俳優として活躍する美輪明宏さん(86)が、長年親交があった瀬戸内寂聴さんの訃報を受け、日本テレビの取材に応じ、悲痛の胸の内を明かしました。
2人が初めて会ったのは50年ほど前。寂聴さんがインタビュアーをしていた時に、取材として美輪さんのもとを訪れたのが出会いだったといいます。そこで意気投合し、どんどんと仲良くなったと明かしました。
——寂聴さんの訃報はいつ聞きましたか、またその時の心境は
つい2、3時間前でしょうか。
驚いて…99歳でいらしたから、覚悟はしておりましたけどね。いざ亡くなると、ああ…昭和の星が散ったかと、寂寥(せきりょう)感でいっぱいですね。胸がつまりますよ。言葉になりません。
——先月から体調を崩されていたことは、ご存じでしたか
いえ、とにかく私には知らせないで、と思っていたんでしょうね。
相手の気持ちをおもんぱかる人でしたからね。回復するだろうと思ってたでしょうし、心配させまいと余計ないことは言わない人でしたから。人のことばかり考える人でした。
——寂聴さんとの印象に残っている思い出は
「ご馳走するからついていらっしゃい」って連れていかれると、いつもお肉屋さんなんですよ。「あなたの方がよっぽど坊さんみたいな食生活してる」ってよく笑われました。私は魚派ですからね。
ちょっと困っている人を見ると黙って言わずにいなくなって、ご馳走するんですよ。それが自分のさだめみたいに思っていらっしゃるみたい。身の上相談もそうだけど、それをなさるのが1番の生きがいだったみたいですよ。自分のことは置いておいて人のために尽くすのが趣味でしたからね。
——美輪さんにとって寂聴さんはどういう存在でしたか
同志でしたね。どちらも戦争を経験して、同じような時代を生き抜いてきた同志ですよ。
どんな話をしても、例えば文学の話をしても、打てば響くという感じで趣味が合うんですよ。以前寂聴さんが私の『愛の賛歌』というお芝居を見に来てね、客席から私の楽屋に泣きながら飛び込んできて、“私は何百本と芝居を見てきたけど、この芝居がその中でも最高よ!”って泣き続けていらしたの。そういうふうに純な人だったんですね。芸術が大好きで価値観が同じでした。
——いま寂聴さんにどんな言葉を贈りたいですか
まだまだゆっくりしている暇はありませんよ。そちらでまた身の上相談に乗って、そちらの世界でも助けてあげてください。
画像:瀬戸内寂聴さんと50年来の親交があった美輪明宏さん