カンニング竹山、子ども時代は『メルセデス・ベンツ 250S』で送迎 “お坊ちゃま”だった
■“ガチお坊ちゃま”だった子ども時代を思い出す車『メルセデス・ベンツ 250S』
子ども時代を思い出す車として登場したのは『メルセデス・ベンツ 250S』。それまで搭載されていた“ハネ”と呼ばれるテールフィンがなくなり、ウエストラインが低い現代的なシルエットになった一台です。1972年の後継モデルから『Sクラス』と名付けられ、メルセデス・ベンツのフラッグシップとして今も続いています。
幼稚園まで3~40分かかる道を、笠岡さんという運転手さんに送り迎えしてもらっていたという竹山さん。窓の形やエンブレムを見て懐かしさを覚えていました。
子ども時代の思い出を振り返った竹山さんは家族旅行を挙げ、「一番遠くに行ったのは京都。(福岡から京都まで)フェリーで行くんですよ。意味が分からないんだけど、(到着すると)京都に笠岡さんがいて。この車を持ってきたんですよ。京都観光をこの車でやって。僕らは伊丹空港から飛行機で帰るんだけど、笠岡さんが(車を)福岡に持って帰った」と、驚きのエピソードを披露しました。
実際に運転した竹山さんは、車内で芸人になるまでの経緯を説明。のちの相方となる中島忠幸さんと出会ったのが9歳の時。10歳の時にテレビで見たビートたけしさんに衝撃を受け、お笑い芸人に憧れを抱きはじめたといいます。
18歳で福岡吉本の第1期生に。20歳で福岡から上京すると、21歳の時に福岡で板前修業をしていたはずの中島さんと、東京で偶然再会。お笑いコンビ・カンニングを結成したということです。
当時、渡辺プロに所属していましたが、「(上京後は)中島しか友達がいなかったのに、先輩ができて、同期ができて。東京に友達ができて楽しくて楽しくてしようがなくて。ネタ作りなんかやらなくなるのよ。それで怒られて1年半くらいたった時に、(事務所の)会議室に呼ばれて“クビです”って」と明かした竹山さん。
続けて、「でもその時にサンミュージックのパイプがあったから、サンミュージックへ」と、事務所を移籍した経歴を話しました。
■相方から受け継いだ『日産 セレナ』
続いて登場したのは、中島さんが乗っていたという『日産 セレナ』。当初は『バネットセレナ』として販売され、1994年のマイナーチェンジによって、車名が『セレナ』になりました。サスペンションの再チューニングで乗り心地が向上したほか、当時のミニバンに多く採用されていた回転シートが装備されました。
中島さんが病気で倒れ入院したため、竹山さんがこの車を受け継いだそうで、「一番最初に乗った車がこれって言っても過言ではないけれど、相方の車だから言いにくい(笑)。(当時は免許がなかったので)後輩が運転したり」と複雑な思いを語りました。
芸人として売れはじめた頃に乗っていた車で、「いい時代だけど、一方で相方が入院しているから、どうなっちゃうんだろうなという不安はあるよね。他の芸人さんが助けてくれるから(一人でキレ芸やっても)みんながボロクソ言ってくれて成立はするっていう。不安だったね。そういう時代の車」と、正直な思いを言葉にしました。
■40歳で免許を取得 初めて自分が乗るために買った『アルファロメオ ジュリエッタ スポルティーバ』
若い時からいつか免許を取りたいと思っていたという竹山さん。40歳で免許を取得し、初めて自分が乗るために買った車が『アルファロメオ ジュリエッタ スポルティーバ』です。ジュリエッタの主力グレードの装備内容を、さらに充実させた新グレードの『スポルティーバ』。サイドフェンダーのエンブレムには、『アルファロメオ』におけるモータースポーツのシンボルである四つ葉のクローバーが施されており、最上級グレードと同じレザーシートが標準装備されたハイスペックモデルです。
40歳で免許を取得することになった理由について竹山さんは、「様々な大人の事情があって、(ドラマ撮影が)クランクインの数日前に制作できなくなって。いきなり空いたのよ、1か月間。そのときに“ああ!免許だ!”って。ここはチャンスだと思って教習所に通いだした」と明かしました。
運転するようになってからは、「生き方が変わったからね。一人で車に乗るようになって一人で行動するようになったから、一人でメシも行くようになった。ラーメンも一人で行けなかったのよ。本当に大人になったと思います、40歳から」と話しました。
■現在の愛車は『トヨタ クラウン クロスオーバー』
これまでイタリア車(アルファロメオ、マセラティ)に多く乗ってきた竹山さんですが、現在、乗っている愛車の一台として登場したのは国産車、『トヨタ クラウン クロスオーバー』です。2022年に新型クラウンとして登場し、スタイリッシュなシルエットと力強いリフトアップスタイルを組み合わせた外装、“全席特等席”をうたう室内空間など、“新時代のフラッグシップ”として刷新された一台です。
エンブレムの除去をはじめ、ホイールをブラックに交換、さらに車高を下げるなど、竹山さんこだわりのカスタムがされています。
ところが、乗り始めて約1年で「飽きていないと言ったらウソになるけど…」と言葉を濁した竹山さん。「(クラウンは)すごく優秀な車。楽しいし楽だし。安心して乗れるんだけれど、なんか足りない時あるのよ」と、イタリア車の感覚を忘れられない様子を見せていました。
最後に、自分にとって車とは「新しいドア」と表現した竹山さん。「人生の中で、開けたことのない新しいドアが開いたっていう。そしたら世界が変わった。生き方も変わった」と締めくくりました。