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“再建のプロ”「昭和」から日本語る(下)

2021年8月29日 15:56
“再建のプロ”「昭和」から日本語る(下)

開業70年の「西武園ゆうえんち」が5月、改装オープン。手がけたのは、数々のテーマパーク再建で知られる森岡毅さんです。改装を託した西武HDの後藤高志社長は、自らも西武グループの立て直しに尽力してきました。2人の“再建のプロ”が熱く語りました。

※“再建のプロ”「昭和」から日本語る(上)――から続く

■100%でなくていい

マーケティング会社「刀」・森岡毅代表(以下、森岡)
「USJの時に、私は64個新しいプロジェクトをやったんですよ。『ハリー・ポッター』もそのうちの一つですけど、そのうちの63個を当てたんですね。この成功確率は98%で、当時の株主の皆さんとか銀行の皆さんは大喜びしてくださったんですけど、本当は一番の成功ではないんですよ」

「これは100%じゃなかったからじゃないんですよ。98%の成功確率は、私は高過ぎだと思います。勝ち過ぎるのは最高の勝ちじゃないんです。80%だってまだ高過ぎる、7割くらいの成功確率に設定していた方が、ホームランがもっとバンバン生まれていたはずで、USJの集客がもっと増えていたはずなんです」

「あの時はあれしかできなかった自分を、今もいろいろと思うところはありますけれども、それは本当に会社を最大化させるという目的があった時に、失敗する可能性を許容できる組織が、本当は一番伸びる組織なんだろうなって、確信を持って僕は思います。そういう意味で、7割成功すれば3割失敗してもいいと経営者が思えば、日本はもっと伸びると思うんですよ。あちこちでもっとホームランが生まれてくる」

西武HD・後藤高志社長(以下、後藤)
「後藤田(正晴)さんが官房長官のときに、内政室長をされた佐々淳行さんが『危機管理のノウハウ』という本を書かれていて、僕はその当時、銀行の支店の営業課長だった時に、たまたま本屋で見つけた。とにかく目からウロコだったわけですよ。その中でポイントなのが、いくつもあったんだけれども、やはり『ネガティブな報告ほど早くあげろ』と。成功した話は黙っていてもあがってくるから、ネガティブな報告は早くあげろというのが書いてあって、全くその通りだなと思って、僕はそれから、とにかくそれを僕の座右の銘の一つにして、部下に対しても、リスクのある話、ネガティブな話、何か失敗しちゃったという話、それはもうすぐあげろと」

「すぐに報告があがれば、例えば火がどっかで燃え上がった時に、バケツの水で、あるいは消火器でもすぐ消火できるけれども、そのネガティブな話を1日放置すると、これはもうバケツだとか消火器では鎮火できない。少なくとも消防署に通報しなきゃいけない。それを例えば3日、あるいは1週間放置したら、もうこれは大火事。延焼して延焼して大変な大火事になっちゃう」

「こういう話を部下にして、ネガティブな話で僕の部屋にすっ飛んできた時には、どんなにバタバタ忙しくてもその話をまず最優先で聞くということを心がけていて、それは多分、ある程度徹底はしていると思う。ただし、逆に言うと、ネガティブな話を報告しなかったという時は、これはね、僕はかなり厳しく叱ることにしています」

■所沢を地域再生のモデルに

後藤
「所沢というのは、東京都内に通っている人たちが『所沢都民』なんてよく言われるけど、ベッドタウンだったんです。それを今これからリビングタウンにしようと」

「西武鉄道の特徴というか、一方向だけが常に電車の稼働が高い。つまり、西武新宿とか西武池袋、朝のラッシュアワーの時間は上りの電車の稼働率が高い。夕方は逆。そうすると、所沢なんてのは、まさに新宿や池袋に20分から30分、池袋だったら特急で20分かからないで行っちゃう。新宿も30分弱で行っちゃう。非常に利便性の高いところですから、ベッドタウンなんですよ」

「だけど、それでは西武鉄道として将来に向けての発展という意味では非常に制約要因になっちゃうから、やはり両方向がバランスよく強くならなきゃいかん。そのためには所沢をベッドタウンではなくて、リビングタウンにしなくちゃならん。ここに働きの場も、学びの場も、遊びの場も作っていかなきゃいかん」

「そして、所沢がリビングタウンになれば、今度は所沢を核として、例えば秩父だとか飯能だとか、そっちの方の、いわば定期外ですよね、いろいろな行楽、レジャー、その需要も間違いなく増えてきますから」

「そういう意味では、西武園ゆうえんちの集客力が高まる中で、首都圏を代表するような、関東エリアを代表するような遊園地が所沢の地にできるというのは、所沢にとって大変なメリットだと思うんですよね」

森岡
「『世界で一番いい遊園地はここにある』ということを所沢の皆さんが誇りに思う未来というものをいつか作りたいと思っています」

「これは、実は発展形もあって、『なぜ昭和にしたのか』とか『古きよき日本のあの時代が一番体験できる』というこの価値を日本人の中で蓄積した先に、今はほとんどできていないインバウンドの誘致動線というのもにらんでいます」

「やっぱり多極化しないと、どこかに人が急激に集まっているという一極化というのは、経済発展上、まずいんですよね」

「いろんなところで人の価値の分散をしていって、日本国のあちこちに魅力のある発展をしておくということは、これを皆さん『地方創生』と言うんですが、この四字熟語でさえ非常に東京目線の言葉ですよね。僕はこれを『地域創生』と新たに言いたいんですけど、様々な魅力のある地域を作り出すということが、日本に求められていることだと思います」

「それをやり始めた日本はもっと伸びると僕は思っていて、日本人はもっとやれると思っています。その『遊園地なのにそこまでやるか!』という実例をこの所沢に作り出すことによって、何かもっと日本人として、もっとやっていける未来をですね、一つの成功例になれればいいなと思って、日々頑張ろうと思っています」