ロシアが「ソ連回帰」する中……“民主化”進めたゴルバチョフ氏が死去 冷戦終結の“立役者”が目指した「核なき世界」
プーチン大統領の下でロシアの「ソ連回帰」が進んでいると言われる中、民主化に尽くし、「20世紀最大の地政学的悲劇」とプーチン氏が呼ぶソ連崩壊をもたらした元大統領のゴルバチョフ氏が死去しました。日本との関わりが深い、その歩みを振り返ります。
8月30日に亡くなった、旧ソ連の元大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏。91歳でした。
1991年に初来日。空港に到着した際の映像では、「まさに歴史的な、歴史的な瞬間です」と実況されていました。日本では「ゴルビー」の愛称で親しまれ、フィーバーになりました。名前を冠したゲームソフトまで発売されました。
翌年に来日した際には、夫婦で東京ディズニーランドを訪れました。
日ソ関係をめぐって、それまで「解決済み」としていた北方領土問題を、初めて「領土問題がある」と認めた人物でもあります。
1985年、旧ソ連の共産党トップの書記長に就任。「ペレストロイカ(立て直し)を全力で進める」と宣言し、政治・経済改革で民主化への道を開きました。
1989年、ベルリンの壁が崩壊。ゴルバチョフ氏は東西冷戦終結の立役者になりました。1990年にはソ連初の大統領に就任し、ノーベル平和賞も受賞しています。
アメリカとの間では、人類史上初めて、核を減らすための交渉を開始。「核兵器なき世界」への第一歩を踏み出しました。
大統領を退いた後、1992年には広島を訪問し、「原子爆弾の犠牲者のことを決して忘れてはならない」というメッセージを残しています。
去年はウクライナ情勢に言及しました。ロシアメディアの書面インタビューに、「難しい局面でも対話を中断してはいけない」と訴えていました。
ロシアメディアによると、ゴルバチョフ氏は腎臓疾患で医師の管理下にあり、6月にモスクワ市内の病院に入院しましたが、30日に亡くなりました。
(8月31日『news zero』より)