ウクライナ・ヘルソン州“攻防”の最前線となった州境の村 ロシア軍は撤退も…
ロシア軍は11月、ウクライナ南部ヘルソン州のドニプロ川西岸地域から撤退しました。ロシア軍が最も深く侵攻し、ウクライナ軍との攻防の最前線となった州境の村には、激戦の跡が残されていました。ジャーナリストの佐藤和孝さんが取材しました。
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佐藤和孝さんが向かったのは、ウクライナ南部・ヘルソン州を東西に分ける川です。
佐藤和孝さん
「今、流れているのがドニプロ川ですね。我々は西岸にいます。現在、ロシア軍は東側に陣取っています。川を挟んで今現在、攻防戦が続いているような状態です」
ロシア軍は11月、ドニプロ川の東に撤退しましたが、今も対岸から激しい砲撃を続けています。
ヘルソン市民
「(攻撃が)2回あった。女性が1人けがをした」
取材中にも、砲撃音が聞かれました。ゼレンスキー大統領によると、この1週間で258回もの砲撃があったといいます。
撤退までの8か月、ロシアはヘルソン州の大部分を占領していました。ロシア軍が最も深く侵攻し、ウクライナ軍との攻防の最前線となった州境の村には激戦の跡が残されていました。人口2000人程度のポサド・ポクロフスケ村です。
佐藤和孝さん
「カルチャーセンターだったところですね。映画館とかコンサートホールとか」
攻撃され、がれきが散乱したホール。幼稚園だったという建物も、壁などが崩れ落ちていました。攻撃で家族を亡くしたという女性に出会いました。
住民
「私の夫が殺されました。砲弾にやられたんです。多くの住民が(村から)脱出しました」
村には、飼い主がいなくなった牛が多く見られました。
ロシア軍による村への砲撃は、今年3月に始まったといいます。
キム・ナフィサさん
「ここにクラスター爆弾があります。私の家の庭にも、こういうのがたくさんあります」
57歳のナフィサさんは、激しい砲撃が始まると姉が住む家の蔵の地下に一緒に避難したといいます。
キム・ナフィサさん
「この蔵に隠れていました。すると(弾が)直撃したのです」
ナフィサさんは、命からがら逃げ出したといいます。
キム・ナフィサさん
「その日だけで350人の村人が命を落としました」
また、ロシア軍による銃撃もあったといいます。
キム・ナフィサさん
「ここを戦車と、銃を持った兵士が通りました。上から撃ってきたんです。戦車にはそれぞれ、4~5人の兵士がいました」
ドローンによる攻撃も目撃したといいます。
その後、村から避難しましたが、ロシア軍が撤退したため1週間前に戻ってきたといいます。
キム・ナフィサさん
「砲弾が飛んできて、衝撃ですべて倒れ破壊されました」
佐藤和孝さん
「破片だらけ、砲弾の」
8か月ぶりの自宅には、水も電気も通っていません。
キム・ナフィサさん
「私はここで寝泊まりしています。コンロでまきを燃やして、暖をとっているんです。窓ガラスはありません。(砲弾の)破片で飛び散りました」
ロシアによる占領が解かれ、ようやく戻れた我が家。しかし、その生活には困難が待ち受けていました。
キム・ナフィサさん
「どうにか屋根は修理してもらいましたが、もっと助けが必要です。そうでなければ、生きていくことができません。私たちを助けてください」
ウクライナにはまもなく、本格的な厳しい冬が訪れます。