壁に「血」と「ムチ」の痕跡……ヘルソンの元拘置所が拷問部屋に 「プーチンに栄光あれ」の字も 佐藤和孝さん“奪還の街”取材
軍事侵攻から約9か月。ウクライナ軍は、ロシア軍が実効支配していたヘルソン州を奪還しました。今も攻撃を受けるヘルソン市内では、民間人が拘束されたとの証言が聞かれ、拷問現場とみられる施設がありました。ジャーナリストの佐藤和孝さんが取材しました。
■撤退のロシア軍、対岸からなお攻撃
24日、ウクライナ南部・ヘルソン州。ジャーナリストの佐藤和孝さんが向かったのは、ヘルソン市の東を流れるドニプロ川です。
佐藤さん
「我々は西岸にいます。現在ロシア軍は東側。東側に陣取っています」
11月中旬、ドニプロ川の東に撤退したロシア軍は、今も川の向こうから攻撃を続けています。
前日に砲撃を受けたという民家では、壁が崩落し、家の中がむき出しの状態になっていました。近所の住民は「あちこちで全て破壊された」と嘆きました。
■ロシア軍、多くの民間人を拘束か
軍事侵攻から約9か月。
村がロシア軍に占領され、息子(39)が拘束されたという女性(70)は「息子は(拘束場所から)出てきましたが、頭が血まみれで服が破れていました」と話しました。精神的に追い詰められたという息子は、その後行方不明になりました。
女性は村から避難した後、知り合った一家の自宅に住まわせてもらっていました。「なぜロシアは私たちにこのようなことをするんですか。(ロシア軍を)追い払ってください」と訴えました。
息子が拘束されたという人は他にもいました。ある男性は「銃を持ち、軍服を着た3人の兵士が部屋に飛び込んできて、兵士らは息子を部屋から連れて行ったのです。何も言わずに」。息子の写真を見せながら、こう振り返りました。
ロシア軍は多くの民間人を連れ去り、拘束したとみられます。
■拷問の痕跡 今も…元拘置所を取材
ヘルソン市内に、その痕跡が今も残る場所がありました。ウクライナの拘置所だった建物を取材しました。拘束された人々が拷問を受けていたという場所です。
佐藤さん
「ロシア軍がここを占拠した時に、拷問部屋をここに作っていたということです」
部屋の白い壁には、血が飛び散ったような跡がありました。ウクライナ軍の広報担当は別の箇所を指さし、「ゴム製のムチの痕跡です」と説明しました。ロシア軍の兵士が書いたとみられる、「ロシアに栄光あれ! プーチンに栄光あれ!」という文字もありました。
ウクライナ軍の広報担当
「ここでは民間人を殴ったり電気を使ったり、水を口の中に注いだり、首を絞めたり。さまざまな方法を使って拷問していました」
ウクライナ軍によると、ヘルソンにはこういった施設が少なくとも4か所あり、2000人以上が拷問を受けたといいます。
■捕虜を交換…「解放に手を尽くす」
こうしたなか、ロシア国防省は24日、ロシアとウクライナで50人ずつの捕虜交換を行ったと発表しました。両国でそれぞれ公開された映像には、笑顔で手を振る男性らの姿がありました。
ウクライナのゼレンスキー大統領は24日に公開されたSNSで「まだ拘束されている全ての人を解放するため、ありとあらゆる手を尽くす」と述べました。
(11月25日『news zero』より)