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タイタニック号沈没100年 現場で追悼式

2012年4月16日 21:54

 氷山と衝突して沈没、約1500人の犠牲者を出した豪華客船「タイタニック号」の事故から100年を迎えた15日、沈没した北大西洋上で追悼式が行われ、遺族ら約450人が参加した。

 アメリカではツアーが行われるなど、これまでにない「タイタニックブーム」に沸いている。

 乗客・乗員約2200人の中で唯一の日本人・細野正文氏は、元「YMO」メンバー・細野晴臣さんの祖父だ。当時、鉄道院の高級官僚だった細野氏が沈没の瞬間を記した手記が、横浜市の横浜みなと博物館に保管されている。

 横浜みなと博物館・志沢政勝副館長「タイタニックの便箋に書いた手記なんですけれど、当初、奥さん宛てに英語で手紙を書こうとして、それを消した後、多分、書くのをやめて上着のポケットに入れた。助かった後、便箋が入っていたので、事故の顛末(てんまつ)を書いた」

 手記には「4月14日から15日。天気快晴。夜10時、床に入り、読書をしながら稍眠(しょうみん)を催し、船が何かに突き当たりたる心地せるも、別段、気に止めず」と、事故直前の様子がつづられている。

 続けて、「前に多数の男女群集す。是(これ)を見し時は、大事件の発生せしこと疑なきを知り、生命も本日にて終わることと覚悟」「ボートには婦人連を最先に乗す。男子も乗らんとあせるもの多数なりしも、船員、之(これ)を拒み、短銃を擬す。最愛の妻子を見ることも出来ざるかと覚悟しつつ、凄想(せいそう)の思いに耽(ふけ)りしに、今一人飛ぶを見て、責めて此(こ)の機にてもと、短銃も打(うた)るる覚悟にて、数尺の下なる船に飛び込む」などと記されている。

 細野氏は死を覚悟しながらも、最後の救命ボートに飛び乗って助かったという。

 細野さんは、当時、救援基地となったカナダ・ハリファクスを訪れた。「タイタニックの事故で、もしも祖父が助からなかったら、自分は存在していなかったと思うと、宿命に思える」と話している。