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アマゾンの森を再生する日本人移民の農業

2012年8月30日 16:33
アマゾンの森を再生する日本人移民の農業

 森林伐採が進むアマゾンで、森を作りながら作物を育てる農業が注目されている。その農業を生みだしたのは、日本人移民たちだった。ニューヨーク支局・柳沢高志記者が取材した。

 世界最大の熱帯雨林が広がり、“地球の肺”とも呼ばれるアマゾン。しかし、森林伐採によってその面積は年々減少し、深刻な国際問題となっている。ブラジル・アマゾンの町、トメアス。そこにはなぜか、日本の名前が付いたホテルや店が並んでいた。町のあちこちには「ブラジル生まれ。2世だね」「今75です。25歳でアマゾンに来ました」と、語る人たちがいる。

 実はここは、80年以上前に日本人の移民が開拓した町。この町で日本人移民たちが考え出した農業が、いま、アマゾンを守る持続可能な農業として世界的に注目されている。その一人、小長野道則さん(54)に農場を案内してもらった。一見畑など無いように見える場所だが、小長野さんが「ここが畑です。森のように見えますが、これが畑なのです」と、教えてくれた。

 この農業は“アグロフォレストリー”と呼ばれ、焼き畑や森林伐採で荒れ地となった場所で行われる。日光が当たる量や成長のスピードなど緻密(ちみつ)な計算を基に、一定の間隔で複数の作物の種や苗を植える。荒れ地が10年もすれば、自然の生態系に近い森のような農場となり、10種類以上の作物がとれるようになるのだ。この畑で作られているアマゾン原産のクプアスを食べてみると、濃厚なバナナのようで甘酸っぱい味がした。小長野さんは「日本でもいけるんじゃないんですかね。ジャムとして」と、語る。

 なぜ、日本人移民がこのアグロフォレストリーを生み出すことができたのか?52年前、小長野さんは2歳の時に、鹿児島県から家族6人でブラジルに渡ってきた。そのときのようすを、小長野さんはこう語ってくれた。

 「アマゾンに行けばたくさん土地がある。食べ物もたくさん山にある。そういう話を聞いてきた。来てみたら栽培しないと何もない。マラリアもひどい。こういう地獄(のような場所だった)。ノイローゼになって亡くなっていった。うちのおやじは」

 祖母と叔母もマラリアにかかり亡くなった。

 それでも、日本人移民たちは過酷な環境の中、ジャングルを切り開き、コショウ栽培を始めた。しかし、そこに病害が発生し、コショウの栽培だけに頼っていた町の農業は全滅。一つの作物に頼らない農業、小長野さんたちが試行錯誤の上で考え出したのがアグロフォレストリーだった。現在、日系人家族200世帯がアグロフォレストリーを行い、作物はジュースとして日本にも輸出されている。

 小長野さんは20年前から、地元のブラジル人農家に対しボランティアでアグロフォレストリーを指導している。ブラジル人農家は「環境にも良い農業だと思います。収益も上がってますし。育ててるものを見ると笑顔になってしまいますよ」と、この農法を称賛する。小長野さんは「ブラジルが私たちを受け入れてくれた。恩返しとして、(今度はブラジルに)貢献していこうと」と、アグロフォレストリーに込めた思いを明かしてくれた。

 2010年、小長野さんはブラジルの環境を守り、地域の発展に貢献したとして大統領から表彰を受けた。その時、当時の大統領からかけられた言葉が印象に残っているという。

 「(大統領は)『日本人だからできたんだ』と。日本人だけです。ここで農業を80年間やってきたのは」

 日本人移民の努力と知恵の結晶であるアグロフォレストリー。世界の森林を再生する一歩が踏み出されていた。