中国サプライズ“短期ビザ免除”舞台裏…石破首相への期待と日中関係の行方
2024年11月末に中国政府が発表した“短期ビザ免除”再開措置に、日本政府関係者は「サプライズだった」と明かした。日中関係の改善に動いた習近平政権の思惑と、中国で高まる“石破首相への期待”とは。そして、課題が山積する日中関係は25年にどう動くのか?
(NNN中国総局 柳沢高志)
■中国が仕掛けた「サプライズ」
端緒は、24年11月15日夕方に届いた1通のメッセージだった。
「近くビザ免除が行われるとの日本政府内の情報がある」
中国・北京に在住する関係者からの連絡だった。「ビザ免除」とは、日本政府や日本企業がくり返し中国政府に申し入れてきた、日本人に対する短期滞在ビザの免除措置再開のことだ。
すぐさま、複数の日本政府関係者に確認をとるが、つれない回答に肩を落とす。
「免除の話はまったく聞いていない」「中国側はあくまで相互主義にこだわっている。このタイミングでの再開は無いと思う」
たしかにビザ免除再開をめぐっては、24年8月末に自民党の二階元幹事長らが訪中した時など、実現に向けて機運が高まったことは何度かあったが、その度に期待は裏切られてきた。そもそもコロナ禍前には、中国は日本とシンガポール、ブルネイにのみ短期ビザの免除を認めていた。それがコロナ後に、各国へのビザ免除拡充に舵を切り、対象国はヨーロッパやアジアなど約30か国にまで増えていた。その中には免除措置を求めてすらいなかった韓国も含まれていたが、日本は蚊帳の外だった。日本政府関係者が「日本への嫌がらせだろう」と、ため息を漏らすほど、悪化する日中関係の深刻さを象徴する案件となっていたのだ。
しかしこの日、私たちが別の方面に取材を進めると、ある“異変”をキャッチする。国営を含む複数の中国国内の旅行会社に対し、中国政府が「今月中にも日本への短期ビザ免除を再開する。準備を進めるように」と通知を出していたことが判明したのだ。さらに、中国政府の中枢に通じる人物からも「その情報は正しい」との裏付けを取り、私たちは「今月中にも“短期ビザ”再開へ」と報じることとなった。
結局、この1週間後の11月22日午後、中国外務省は日本などへのビザ免除措置を発表する。
■“秘密交渉”とトップダウンの決断
その後の取材で、実は、私たちが端緒をつかんだ11月15日の前日から2日間にわたって、ビザ免除などをめぐって、北京で日本の外務省幹部と中国外務省幹部による秘密交渉が行われていたことが分かった。そして日本側のビザ免除再開の要求に対し、驚くことに、この時点でも中国外務省幹部は「日本も、訪日する中国人に対する条件緩和措置を講じなければ、免除は与えられない」と従来の主張をくり返し、“物別れ”に終わっていたというのだ。だからこそ、別の日中関係筋も、この1週間後の発表を聞いて「サプライズだった」と驚きを隠さなかった。
「嫌がらせ」を続けてきた中国が、なぜこのタイミングでカードを切ったのか。そして、日本政府にとって「寝耳に水」のサプライズ発表となったワケとは…?
ある日中関係筋は「今回の決定は、中国外務省よりも上のレベルによる判断だったのだろう」と指摘する。ビザ政策を管轄する中国外務省は徹頭徹尾、「日本の譲歩が必要」と話し、日本人の短期ビザ免除を再開するには日本政府が中国人に対しても同様の措置をとるべきという「相互主義」を主張してきた。中国外務省だけではない。24年1月に社民党の福島瑞穂党首が訪中した際に、面会に応じた中国共産党ナンバー4の常務委員・王滬寧氏も、ビザ免除の条件として「日本側も相応の行動をしてほしい」と求めていた。
こうした中国側が貫いてきた原則を覆すことができるのは、習近平国家主席レベルでの決断があったとしか考えられないというのだ。トップダウンの決断を受けて、中国政府の観光を担当する部門は、即座に準備に動いたのに対し、はしごを外された形となった中国外務省はギリギリまで正式に日本側に伝えることはしなかったとみられる。
■石破首相への期待
“トップダウン”の決断が迫られた要因は、いくつか考えられる。まずは「低迷を続ける中国経済」だ。日本からの投資や観光客を誘致したい狙いが中国にはあった。また「トランプ政権発足を控えて、中国としては各国との関係改善を進めて、米中対立に備えよう」という思惑が働いたというものだ。
ただ中国国内で取材を進めると、別の“意外な”要因が浮かび上がった。ある日本政府関係者が、不思議そうに首をかしげた。
「中国側に石破首相個人への好意的な声が多いんですよ。中国政府や軍関係者の間でも『石破さんとは飲んだことがある』、『石破さんのことは好きだ』と人気なのです」
たしかに私自身も、日本で与党が過半数割れした24年10月の総選挙直後には、中国共産党関係者から「石破さんは大丈夫か? なんとか頑張ってほしい」と心配する声を聞いたし、中国の大学の研究者やシンクタンク関係者と話していても、石破首相への期待をひしひしと感じる場面が多々あった。24年8月、石破氏が首相就任前に総裁選への意欲を、あえて訪問中の台湾で示した過去など、見て見ぬふりをしているかのようだった。
では、なぜ中国国内で石破首相への期待が高いのか。まず、「高市早苗前経済安保相の存在」が挙げられる。高市氏は中国に対する厳しい姿勢を崩さず、首相就任した場合でも靖国神社参拝を明言している。中国側からすると、決選投票で高市氏と激しく争った総裁選の結果を見て「石破氏で良かった」とホッと胸をなで下ろしたのが本音だろう。
さらに、日本政府関係者は、次のように説明する。
「中国は、岸田前首相はアメリカにべったりの『対米一辺倒』と批判的に見ていたのに対し、日米地位協定の見直しを主張する石破首相はアメリカに対しても、モノを言う『自主独立外交』を進めるのではないかと期待している」
中国にとって“最大のライバル”であるアメリカに日本がどう向き合うかが、日本に対する姿勢を左右する大きなファクターだというのだ。こうした石破首相への高い期待が、習近平指導部の姿勢の軟化にもつながったと日本政府関係者は指摘する。
■“戦後80年”…日中関係は
石破首相は24年11月29日に行った所信表明演説で、「中国の習近平国家主席とも、かみ合った議論を行うことができたと感じています」と述べた上でこう胸を張った。
「私が指摘した短期滞在の日本人への査証免除再開については、すでに中国側から明日30日に開始するとの発表がありました」
ビザ免除を首脳外交の成果として誇ってみせた石破首相。しかし、対中外交に限ってみても、今後の道のりは平坦ではない。日本産水産物の輸入停止や、反スパイ法による邦人拘束事案、中国公船の度重なる日本領海への侵入など、日中間の懸案は山積していて解決への道筋は見えていない。さらに、中国で日本人が被害に遭う殺傷事件が相次ぎ、日本国民の対中感情が悪化する中で「ビザ免除」の効果がどこまであるかも未知数だ。
また、貿易や安全保障で独自の考えを持つ、アメリカのトランプ次期米大統領との激しい駆け引きが予想される中で、石破政権が中国が期待するような「アメリカにモノ言う外交」を貫けるかも不透明といえる。
そして、25年は戦後80年を迎える。中国では軍事パレードなど「抗日戦争勝利」を祝う記念のイベントが行われ、必然的に「愛国」ムードが広がることとなる。1つのきっかけで「反日」感情に火がつきかねない“敏感な節目の年”だからこそ、この国と向き合う覚悟が石破政権には問われることとなる。