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北朝鮮・金正恩体制の2015年

2015年1月4日 9:12

 北朝鮮で金正恩体制が発足してから3年余り。先月17日、労働党の機関紙「労働新聞」は「金日成主席、金正日総書記に続き、金正恩第1書記を迎えたのは我が人民の大幸運であり、最高の勝利だ」と3代世襲を正当化した。金第1書記が「核保有国の地位を固め文明の飛躍を成し遂げた」と称賛し、核開発と経済発展を同時に進める「並進路線」は堅持する姿勢を示した。

 金第1書記はこの3年、権力基盤の強化に力を注いだ。後見役と目された叔父の張成沢氏を処刑するなど幹部を次々に排除。金総書記の国葬で霊きゅう車に付き添った7人のうち、残るのは2人にすぎない。人民武力相は3年間に4回交代させるなど。金総書記の頃には見られなかった頻繁な人事が行われた。幹部に恐怖感を与えることで、父や祖父に比べ不足するカリスマ性を補う狙いもあったとみるべきだろう。韓国の政府関係者も「短期的に見れば金第1書記の権力は強化された」と判断している。

 一方、張氏粛清の副作用を指摘する声もある。韓国の情報機関の傘下にある国家安保戦略研究院は「金総書記の頃にあった『運命共同体』意識が金正恩体制に入り大きく変化した」と分析している。粛清によって幹部たちの間では恐怖と不安が広がり、忠誠心が低下。「面従腹背」が深刻化しているという。韓国政府関係者は「党の組織指導部と秘密警察である国家安全保衛部の権限が拡大した」「両組織の権限がさらに広がれば金正恩体制の不安定要因になり得る」と説明している。

 こうした中、金第1書記の妹である与正氏が党の副部長に就任したことが去年11月に判明した。与正氏は1987年生まれとされ、北朝鮮メディアは去年3月、動静を初めて公式に報じた。去年9月、足の疾患で金第1書記の動静が40日間途絶えたが、韓国政府関係者によると、この間に与正氏を副部長に昇進させる人事が行われたという。与正氏は金第1書記に異を唱(とな)えることのできる数少ない人物との見方もあり、今後、その役割が増していくものとみられる。

 住民の生活はどうなのか。去年8月、アントニオ猪木議員がプロデュースするプロレスイベントの取材のため首都・平壌に入った。記者は15回目の北朝鮮取材だったが、訪問の度に着飾った女性が増えていると感じる。カラフルなシャツやワンピースを着こなし、肌のケアのため日傘を差している女性も多い。最近は、金ぴかでど派手な日傘が流行しているようで、1週間の滞在の間、老若問わず10人近くの女性がこの日傘を手にしているのを目撃した。

 一方、平壌市内のレストランでは平日の昼間からアルコールを楽しんでいる男性の姿が珍しくなくなってきた。最近ではワインもよく目にする。プロレスイベントではスマートフォンを手にした大学生が動画を撮影していた。90年代後半、「苦難の行軍」と呼ばれる経済難に直面した北朝鮮だが、ここ数年来、生活を楽しめる余裕のある層が確実に増えている。ただ、平壌で見られる「豊かさ」が地方には行き渡っていない。これについては北朝鮮当局者も「まずは平壌からだ」として格差の存在を認める。これまで訪れた地方都市では食糧の配給、電力事情、人々の服装など、平壌とは大きな開きがあった。

 金第1書記は国民に約束した「人民生活の向上」を成し遂げ、「社会主義の富貴栄華」を実現できるのか。格差が拡大するばかりとなれば、豊かさの恩恵を受けられない層の不満はじわじわと高まることになるだろう。