路上に落石、街に人の姿なく 台湾地震“最大被害の街”花蓮市は…
3日に発生した台湾付近を震源とする大地震。少しずつその被害の全容が明らかになってきました。最も大きな被害が出た台湾東部の花蓮市を、森圭介キャスターが取材しました。
4日、森圭介キャスターが向かったのは、最も大きな被害が出た台湾東部の花蓮市です。
森圭介キャスター(4日午後)
「花蓮市の中心部にやってきました。うしろにあるのが“夜市”です。いまは誰も人がいません。ここはいつも観光客でにぎわっているところなんですが、その中心部は目を疑うような光景が広がっています。中心部の8階建ての店舗兼住居のビルが、こちらに向かって傾斜してきています」
地震発生からまもなく33時間。台湾では600人以上が閉じ込められ、助けを求めています。
震源に近く甚大な被害が出た台湾東部・花蓮県。
森キャスター
「右手には海、そして左手には山という台湾の東海岸の道を走っています」
道中では、落石や道路に亀裂が走る箇所が目立ちます。
森キャスター
「落石です。大きさでいうと1~2メートルほど、のり面が剥がれ落ちてしまっているのが確認できました」
そして、街の中心部に到着すると、そこには、地震発生直後に土台から崩れ、いまにも倒れそうなビルがありました。
森キャスター
「いま前方右側に高いビルが斜めになっているのが確認できます。クレーン車の先に作業員の方が2人乗っていまして、この建物の何かを確認しています」
多くの人が中に閉じ込められ、救助されましたが、女性1人が亡くなりました。
夜通しで行われた“応急工事”。傾きを食い止めるため、ビルの1階部分にブロックなどを設置する作業が、4日午前も行われていました。
一夜明け、街の被害が明らかになってきました。
森キャスター
「車の上にレンガが降ってきていて、車を直撃しているという状況です」
レンガが屋根に落下し潰れた車。散乱したガレキが、地震の大きさを物語ります。
別の場所では…
森キャスター
「建物が隣り合わせで建っている地域です」
古い建物が密集して立ち並ぶ地域。路上には瓦が散乱していました。
カフェを営む地元住民に話を聞きました。
森キャスター
「ご家族はみなさん無事ですか?」
カフェを営む地元住民
「家族は無事でしたが、家の中がぐちゃぐちゃです。大型の装飾が全部倒れて、悲惨な状況です。これまでこんな大きな揺れを感じたことはありません」
森キャスター
「いま困っている事や足りない物は?」
カフェを営む地元住民
「ここは観光客が到着して最初に訪れる場所ですが、いまは街中に人がいないです」
観光に訪れる人が減ってしまうことを心配していました。
台湾全域を襲った過去25年間で最大規模の地震。土砂崩れも発生しました。
ジャーナリスト 宮崎紀秀氏(台湾・花蓮県)
「こちらも結構大きいビルですけど、壁などが崩れています」
甚大な被害が出たビルから救出された男性がいました。
救出された男性
「地震が大きすぎて、ものが全部倒れた。冷蔵庫も1メートルくらい移動しました。ドアが開きませんでしたが幸いケガはありません」
これまでに10人が亡くなった今回の大地震。台湾当局によると、日本時間4日午後5時25分時点で660人が閉じ込められ、38人と連絡が取れない状況です。
4日午前6時ごろにドローンで撮影した映像には“赤い旗”を持つ人が映っていました。ホテルの従業員ら50人が山を登る途中、トンネル内に閉じ込められたのです。
「トンネルへは、入ることも出ることもできません」
トンネルの先にあるホテルには、閉じ込められた人がいて、道路が復旧後、救助に向かうといいます。
台湾・花蓮県の険しい山岳地帯にも、救助を待つ人たちの姿がありました。炭鉱で働いていたところ、地震が起きました。
現地の日本人も被害にあっています。花蓮市内の日本料理店を訪れました
日本料理店を経営 溝渕剛さん(4日午後)
「ここがガラス張りの冷蔵庫なんですけど、ドアの方に倒れかかって」
森キャスター
「ガラスが粉々に割れてしまってるのですね」
食器やグラス類が壊れ、破片が散乱していました。
森キャスター
「きのう1日だけでこれだけ片付けられたのですか?」
日本料理店を経営 溝渕剛さん
「そうですね」
1日かけて店の片付け。その最中にも、何度も地震があったということです。
日本料理店を経営 溝渕剛さん
「夜も1時間に2回くらい余震ありますしね。余震も横揺れタイプとか、突き上げタイプとか。ほとんど寝ていません」
被災者が身を寄せる花蓮市内の避難所。
NNN花蓮市 渡辺容代記者(4日)
「こちら花蓮市が運営している避難所なんですが、現在100人以上の方がこちらに身を寄せているということです」
食料や飲み物は寄付されたものだといいます。
被災した住民
「ボランティアの方が面倒を見てくれるので、助かるし感謝しています」
それでも…
被災した住民
「やっぱり帰りたい。家は自分が一番慣れているところだから」