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「核に対しては恐怖しかない」…“核の町”に避難したウクライナ人家族

2022年8月11日 18:00
「核に対しては恐怖しかない」…“核の町”に避難したウクライナ人家族
写真右からオーリャさん・マーシャさん・テチャーナさん

広島に投下された原爆「リトルボーイ」に使われたウラン濃縮工場があったテネシー州・オークリッジ。戦後およそ77年が経った今もこの町にはエネルギー省国家核安全保障局の核関連施設があり、周辺には原子力関連企業が集まっている。

この“核の町”に戦禍を逃れてウクライナから避難してきた3家族がいる。ウクライナ侵攻で、核の脅威が高まる中、彼女たちは何を今思うのか、話を聞いた。

 ◇◇◇

■ウクライナから避難した母子3組が一つ屋根の下に

アメリカ南部、テネシー州オークリッジの住宅街にある一軒家。私たちが訪れると、ウクライナ語を話す男の子が「魚を見て欲しい」と水槽がある部屋に手を引いて案内してくれた。水槽の他にベッドとおもちゃが置かれた10畳ほどの一室では、母と子が暮らしている。この家には他にも部屋があり、幼い子どもと共にウクライナから避難した3家族が一つ屋根の下で生活している。

祖国で新体操のコーチをしていたオーリャさんと、ガス掘削会社に勤めていたマーシャさん。そして、チョルノービリ原子力発電所に勤務していたテチャーナさん。ウクライナ侵攻後の氷点下で凍てつく寒さの中、3家族は国境を越えポーランドで合流した。

オーリャさん
「国境は歩いて越えました。ウクライナ側で1日待たされてその後歩いて5時間かけて国境を越えました。」

タチャーナさん
「一番怖かったのはそのまま寒さに負けてしまうことで、今思い出しても泣きそうな気持ちになります。7時間ずっと暖かい部屋に入ることなくずっと外でした。国境でマーシャと会えたときはお互い涙を流しながらもう大丈夫だねという気持ちで一杯でした。」

マーシャさんがウクライナから持ち出せたのは、貴重品と着替えが入った小さなナップザック一つだけ。国境で再会したときは、涙を流して抱き合ったという。

■原発関連の仕事で知り合った知人の尽力でアメリカへ避難

着の身着のままでポーランドに入国した後は、ボランティアが洋服や日用品、食料などを提供してくれた。3家族は、国境近くのマーシャさんの親戚の家でしばらく暮らした後、ワルシャワ、パリ、メキシコを経由して4月19日にオークリッジに到着した。

ウクライナ人家族をアメリカに呼び寄せたのは、アメリカ人のグラントさん。自身も放射線関連の仕事をしていて、ウクライナのチョルノービリ原発で、テチャーナさんと知り合ったという。

グラントさんは、ウクライナ侵攻で友人が大変な目に遭ってているのを知りかつて住んでいたオークリッジで一軒家を購入し彼女たちをアメリカまで呼び寄せた。今は3家族と共に、地下の一室で共同生活を送っている。

■チョルノービリ原発勤務だからこそ…「核の恐ろしさは誰よりも知っている」

チョルノービリ原発で仕事をしていたテチャーナさんは今もリモートで現地と時差がある中勤務している。避難してきたオークリッジは、奇しくも国家核安全保障局の核関連施設があり、周辺には原子力関連企業が集まっている“核の町”。

ロシアが核兵器使用も辞さない姿勢を示し、核戦争への脅威がかつてなく高まっているという指摘される中、核についてどう思うのか尋ねた。

テチャーナさん
「自分の中で核に対しては恐怖しかないです。自分が誰よりも核の怖さを知っているからです。父親も義理の父も原発で働いていて、事故の後、病気で亡くなりました。核の目に見えない恐ろしさは、誰よりも知っているからです。核攻撃が起きると地上はどこも安全な所はないと思います。チョルノービリも、福島もそうだった。日本とウクライナだけではなく全世界的な悲劇になります。核兵器は廃棄した方が平和な生活になると思う」

■持ち出せたのはかばん一つ…「積み上げた人生を一瞬で失った」

侵攻が長期化して戦闘終結のめどがたたない中、今一番望むことについては。

テチャーナさん
「1日も早く父親が子どもを抱きしめる日が来ることを祈っています」

マーシャさん
「積み上げてきた人生の実績を一瞬で失ってしまいました。戦争前の生活を取り戻すことは不可能に近いと理解しているが、早く自分の国に戻って平和な生活を送りたいです」

オーリャさん
「一番の大きな希望はウクライナの勝利です。そしてバラバラになった家族が再び一緒になって新たなスタートを切りたい」

■「善が必ず勝つことを信じている」

3人の願いはいずれも平和で元の生活が戻り、家族全員で再び暮らせるようになること。テチャーナさんはインタビューの最後、こう締めくくった。

テチャーナさん
「ウクライナからアメリカまでの旅を振り返ってみるとたくさんの方が温かく応援してくれ、アメリカにたどりつきました。学校の先生やお店の店員さんやバスの運転手さん、町中にいる人みんなが、ウクライナから来ているとわかった瞬間、温かい応援の言葉をかけてくれました。プーチン大統領のような悪人もいるが、世の中全体を見るといい人の方が多いと思う。善は必ず勝つことを信じています。」

ウクライナでは今またザポリージャ原子力発電所への攻撃が相次ぎ、原子力災害への懸念が高まっている。彼女たちの願いが届く日はまだまだ見通せない。