残るか帰国か…緊迫ウクライナ 葛藤抱えて踊る日本人バレリーナ
ウクライナの首都キエフにある国立オペラ・バレエ劇場。門馬美沙希さん(23)は、満員の観客の前でソロパートを踊っていた。この地でプロのバレリーナとしてのキャリアをスタートして4年目。ウクライナを「第2の故郷」と話すが、ロシアによる侵攻への懸念の高まりで厳しい現実に直面している。(NNNロンドン支局 山田智也)
■ようやくつかみかけた夢…
門馬さんは中学卒業後、16歳でロシアにバレエ留学した。自分で選んだ道だったが、たったひとりで言葉も分からず、到着した初日に号泣してしまったという。
その後、3年間ロシアで学んだあと日本に帰国。オーディションなどを受ける日々が1年近く続き、2018年9月、キエフバレエ団に入団。キエフに来てからも周囲に認められるため、バレエ漬けの日々を送ってきた。
門馬さん「『あ、この日本人踊れるな』って思ってもらえるまでは、かなり時間がかかりました。まだ全員に認められているわけではないんですけれども、4年目になって、やっとやっと自分の居場所ができてきたのかなと思います」
しかし、ロシア軍のウクライナ侵攻が懸念されるなか、門馬さんのもとには今、帰国を促す連絡が毎日のようにキエフの日本大使館から届く。心配した日本の家族や友人からも連日、連絡があるという。それでも門馬さんはキエフに残り、舞台に立ち続けている。
■帰国すれば私の居場所がなくなる…
公演は週に3回。バレエが人気のウクライナでは覚える演目も多く、門馬さんはおよそ20の役を演じることができる。公演の前日に急きょ空きが出た役に指名され、徹夜で振り付けを覚えたこともあったという。
今、最も恐れているのは必死に築き上げてきた劇団での立場を失うことだ。
門馬さん「少し病気で休んでしまったりすると、もう次の舞台には自分の場所がないっていうこともあるんですよ。もし自分が日本に帰国したら、戻ってきた時には、もしかしたら自分の場所がないっていうのはすごく感じます。プロのバレエダンサーの一発目を踏んだ舞台がこのキエフのバレエ団だったので、つらいこともあったし楽しいこともたくさんあって。そこを離れるとなったら、もう胸が張り裂けそうな気持ちです」
今、日本に帰国すれば、血のにじむ思いで築き上げたキャリアを失うことになる。簡単な決断ではない。
■日常が続いているキエフ
門馬さんを悩ませている要因のひとつが、世の中に伝えられるニュースとキエフでの実際の生活とのギャップだ。
世界中のメディアが「ウクライナ情勢が緊迫している」と伝えるが、キエフの人々はロシアの侵攻を懸念しつつも、これまでと変わらない日常を送っている。2014年のクリミア併合以降、ロシアの脅威は常にウクライナの人々の身近に存在してきた。
だから、今も公園には子どもたちの元気な声が響き、レストランや商店も通常営業。門馬さんが踊る国立劇場でも、週末には満席の観客が拍手を送る。買い占めなどの混乱も起きていない。
門馬さん「情勢が悪化して『明日から劇場を閉めます』と言われれば決断できるんですが…日常どおりの生活ができているので、なかなか決断はできないんです」
ウクライナにいる自国民に国外退避を促すかの判断は、各国でも分かれる。アメリカや日本が退避を求める一方、フランスやドイツなどは退避を求めていない。門馬さんのバレエ団で、国外に逃れた人はまだ1人もいないという。
■荷物をスーツケースにまとめて
門馬さんの自宅のクローゼットは今、ほとんど空の状態だ。その代わりに廊下にはスーツケースが4つ並んでいる。
門馬さん「本当に緊急事態の時にどうなるか分からないので、すぐ帰国できるようにスーツケースに必要なものは詰めています。本当に大切なバレエのものだったり、大切な洋服だったり。ここに詰めて明日帰国でも大丈夫なように準備はしています」
■緊張緩和の糸口が見えないなかで…
門馬さん「一日一日をより大切にしながら、今日が最後かもしれない。だから全力で頑張ろうと思って劇場に立っています。どうなるか分からないですが、自分のなかでは、もっとウクライナで踊りたいという気持ちがあります」
ウクライナ情勢をめぐり、ロシアとアメリカなど西側諸国は緊張緩和に向けて外交交渉を続けているが、主張の隔たりは大きく、今のところ出口は見えていない。
「いつ踊れなくなるか分からない」。そんな不安を抱えながら、門馬さんは今日も夢を追い、舞台に立ち続けている。