前例なき王室批判タイ社会に与えた衝撃とは
タイ国民にとって、2020年は、政治をめぐり関心高く見守る動きがあった。何万人もの人々が街頭に出てきて王室に抗議するというのは、歴史上初めてのことだったからだ。
タイで王室は宗教に例えられる。国王は歴代、人々の崇拝を集める神格化された存在だ。人々は国王を「父」と呼び、信者が神を敬うのと同じように、国王を深く尊敬している。
王室はタイを外部の脅威から守り、植民地化から救ってきたと広く信じられてきている。多くの人はタイが独立を維持できたのは王室のお陰だと考えている。
そして、そのような脅威がなくなった後も、国王は国民の生活の質を高めるために努力していると信じる人が大半を占めている。それゆえ、タイで王室は非常に尊敬されなければならず、国王を悪く考えることは恩知らずと受け止められるのだ。
王室が敬われるのには、年功序列を重んじるタイの文化とも大きく関係している。王室は序列の最高位にある。このような背景もあり、王室支持者は「善良な人」であり、王室を疑う人は「悪い人」と考える人が多い。
そのため、学生らが街頭に出てきて、国王を名指しし、直接かつ公然と批判したことに、タイ社会は衝撃を受けた。仮に陰で国王を批判することがあろうとも、匿名で行うのが普通だ。
学生らが国王に対してあのように大胆に意見をぶつけた時、タイメディアは報道することをためらっていた。国王の名誉を傷つける報道を繰り返すと、記者も罪に問われることがあるからだ。
一般の人にとっては、2つの意味で衝撃だった。タイでは王室を侮辱すれば不敬罪で罰せられ、最長で15年の禁錮刑が科される。それにもかかわらず、学生らが罪に問われることを恐れていないこと。また、王室改革を求める声明を出したリーダー格のメンバーが学生らに称賛され、王室を明確に批判する、さらに大きな抗議活動につながったからだ。
君主制を支持する王党派にとっても、学生らがタブーをおかしたことは、さらに大きな衝撃をもって受け止められた。王党派の視点では、王室は常に崇拝されなければならない。王室に対する感謝の気持ちは計り知れず、王室を軽視することは罪であり、不幸をもたらすと信じている。
仮に人々が王室に不満を持ったとしても、個人的に、あるいは密かに文句を言えば良いという考えを持っている。このため、学生らが王室を表だって批判していることにショックを受けている。また、学生らの行動は国王から王位を剥奪しタイから追い出す「革命」と見なし、深く動揺している人たちもいる。
一方、王室の問題がようやく公の場で取り上げられたと喜び、デモについて好意的に受け取る人たちも少なからずいる。それは、王室改革が民主化など、タイが抱える多くの政治的問題の解決に役立つ、本質的なステップと考えているからだ。
このように「王室改革」を求める動きは批判的、好意的と視点は違えど、タイの国民の間では大きな衝撃をもって受け止められた。
ただ、国民の間で「王室への思い」が様々あるだけに、合致点を見いだす道のりは決して平たんではない。国民を巻き込み、大きく動き出した流れがどのくらい続くのか、そしてどのように終わるのか。現時点でその道筋は見通せない。