コロナに翻弄 日本人ミュージカル俳優の今
新型コロナウイルスの影響で去年3月から休演していたアメリカ・ニューヨークのブロードウェーミュージカルが、9月14日に全面再開することが決まった。1年半ぶりに劇場に明かりが灯ることになる。ワクチンの普及が進み、次々と経済活動が再開されているニューヨークの現状を考えると、再開される9月まで、ずいぶんと時間がかかる印象だ。一度、バラバラになったキャストやスタッフを再び集め、リハーサルを行うなど、観客を魅了するミュージカルを作り上げる難しさが伺える。コロナによる長期間の休演に翻弄された日本人ミュージカル俳優を取材した。
(ニューヨーク支局 上遠野将人)
ニューヨークで出会ったミュージカル俳優、高橋リーザさんは、兵庫県伊丹市出身。幼少のころからブロードウェーの舞台に立つことが夢で、高校はカナダの芸術高校に留学した。アメリカの大学でミュージカルを本格的に学び、卒業後はニューヨークで暮らしている。2018年にブロードウェーミュージカル「ミーン・ガールズ」のオリジナルキャストとして抜てきされ、新型コロナの感染拡大で休演になるまで出演していた。
■ブロードウェーミュージカルの休演により失業
去年9月、私はタイムズスクエア近くにある「ミーン・ガールズ」の劇場前で、リーザさんと待ち合わせをした。彼女がここに来るのは、舞台が休演になって以来、初めてだった。ブロードウェー周辺の通りには人影がほとんどなく、工事車両の音だけが悲しげに鳴り響いていた。コロナ前なら、劇場前の通りは朝からからチケットを求める客であふれかえっていたという。
リーザさんは休演になった当時の話を聞かせてくれた。去年3月、「今日から舞台を中止する」とのメールが突然届き、その日失業した。きらびやかな衣装をまとい躍動していた夢の舞台に、一瞬にして立てなくなったのだ。共演者とは「1か月くらいで戻って来られるはず、それまで耐えよう!」とお互い励ましあったが、新型コロナの状況は日を増すごとに悪化。先行きが全く見えない状況となった。
リーザさんは劇場の周りを歩きながら、笑顔を絶やさずにこれまでの話を聞かせてくれた。ミュージカル女優を目指し、若くして日本を飛び出した話。アメリカ中を回った下積み時代の話。「ミーン・ガールズ」のキャストに抜擢された当時の話…。
途中、彼女は派手にピンク色にペイントされたドアの前で足を止めた。公演の際に毎回、出入りしていた楽屋口のドアだ。開くことのない楽屋口のドアノブに何度も手をかけて、感触を確かめていた。私には、4か月前の「日常」を懐かしんでいるように見えた。
「また来るね」帰り際、劇場の方を何度も振り返りながら発した言葉が、寂しく響いた。リーザさんはこの時、再び舞台に戻れることを疑いもしていなかった。
■休演の長期化と新たな挑戦
リーザさんは失業保険の給付を受けながら、舞台の再開を待っていた。しかし、休演が長期化するなか、何かほかの収入源を探す必要に迫られた。「ブロードウェーに帰るため、今をどうやってしのいでいくか。生きていくために、どうすればいいのだろう…という不安が、明確に出てきた」というリーザさん。
そこで、数少ない「日本人のブロードウェー俳優」としてのキャリアを生かし、オンラインで歌やダンスのレッスンを始めることにした。対象は将来ブロードウェーを目指す日本人の若者たち。リーザさんは舞台に「立つ」側。ビジネスの知識は皆無だったため、レッスンの立ち上げには苦労をしたが、言葉の壁を乗り越えながら1人で闘ってきた経験に基づく講座は、すぐに評判を呼び、たくさんの生徒が集まった。
リーザさんは歌やダンスの楽しさを伝えながら、舞台の再開を待ち続けた。
■突然届いた「ミーン・ガールズ」再開断念の知らせ
「ブロードウェーと日本の方々との懸け橋のような存在になりたい」、こうした思いで続けたミュージカルのレッスンは軌道に乗り、リーザさんのもとには日本での直接指導の依頼も届くようになった。
レッスンのため、日本に一時帰国中をしていた今年1月、突然、「『ミーン・ガールズ』の再開を断念する」という知らせが届いた。この瞬間、リーザさんはブロードウェー俳優として帰る場所を失った。
ニューヨークに戻ったリーザさんが劇場に別れを告げに行くと聞き、私も同行した。
リーザさんは劇場を前にして、いつもの笑顔で元気に語った。
「あー、終わったんやなーという実感が、すこしずつ湧いてきた。私の中のチャプターが1つ終わった。第1幕が終わった。寂しいのは寂しいですが、そこまでネガティブにはなっていない。次のステップに行けるワクワクがある」
共演者やスタッフへの寄せ書きに、ペンを走らせた。
『ミーン・ガールズの仲間たちへ。
いろいろありがとう。
みんなは一生私の家族であり続けます。
1週間に8度も会っていたのに、本当に寂しいよ。
愛しているよ!! リーザ』
仲間への感謝の思いを綴ったリーザさんの姿は、少し切なく見えた。
■ブロードウェーミュージカル完全再開へ
春になり、ニューヨークでもワクチンの接種が一気に進んだ。それに合わせて経済活動が続々と再開されていた5月5日、ついにニューヨーク州のクオモ知事が、「9月14日にブロードウェーの劇場を完全再開」させることを発表した。
リーザさんに、この発表をどう受け止めたのか聞いたところ、「うれしい反面、少し複雑。複雑なのは、ブロードウェーが再開しても『ミーン・ガールズ』には戻れないという事実がある。歴史的なブロードウェーの再開の瞬間に、私もブロードウェーの舞台に立って参加したかった」と正直な思いを明かした。
今後については、「ブロードウェーの舞台に立つのは生半可なことじゃない。それは舞台に1回立っていたとしても変わらないこと。イチからオーディションを受け始める。とにかく、ミュージカルの舞台に戻りたい」と語った。
突然の休演から、新型コロナに翻弄され続けたリーザさんだったが、最後にいつもの笑顔で、こう締めくくった。
「ブロードウェー俳優・ミュージカル俳優としての活動が全くできていなかったので、やっと戻れるという意味では、トンネルの中から光が少し見えたかな…という感じです」