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キャンプ大火災 ロヒンギャ難民のいま

2021年5月22日 13:28
キャンプ大火災 ロヒンギャ難民のいま

今年3月、バングラデシュ南東部・コックスバザールにあるロヒンギャ難民キャンプで大規模な火災が発生し、約4万人が住む家を失った。火災発生当時現地を取材したジャーナリストの小西遊馬さんに、被害の様子とロヒンギャ難民の今後について話を聞いた。

■約86万人が難民キャンプで生活

――火災現場はどんな様子でしたか?

炎の熱がすごく、舞い上がった埃で息苦しさを感じました。何十キロ先からも見える巨大な煙が難民キャンプの上空を覆っていく様子は、現実とは思えないものでした。

大通りには家財道具を抱えて逃げる人々や、泣き叫びながら家族を探す子供もいました。暴徒化した難民の若者が喧嘩をするなど、まさに混乱という感じでした。

――ロヒンギャ難民は今どんな状況に置かれているのでしょうか?

元々はミャンマーで生活していたのですが、ロヒンギャの人々はイスラム教徒であるため、人口の9割が仏教徒とされるミャンマー国内では「バングラデシュからの不法移民」とされてしまいました。ミャンマー国籍が与えられず、治安部隊から迫害を受け、国を追われました。しかし隣国のバングラデシュにも入国を認めてもらえず、今も86万人近くが特別に設けられた難民キャンプで生活している状況です。

■一面の焼け野原で子どもが…

――そんな中で起きた今回の火災。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の発表によると、約1万のシェルターが破損し、15人が死亡。一時は400人近くが行方不明になりました。難民の人々の被害は?

元々キャンプにはシェルターが密集していましたが、火災の翌日には一面焼け野原になり、遠くの景色が見える開けた平地になっていました。

布団や毛布などの生活必需品や、なけなしのお金で買った家財道具も燃えてしまい、幼い子供が、まだ使える皿やソファの骨組みなどを拾い集めていました。

■ガイド男性 出産直前に家が全焼

――今回小西さんの取材を担当した現地ガイドも、キャンプで生活する難民の方だったそうですね?

彼はハサンという23歳の男性で、僕の1つ年上でした。取材外でたわいもない話をしたり、一緒に散歩をしたりして仲良くなっていました。取材後ホテルで一緒に休んでいた時、「家が燃えて母親と連絡が取れない」と言って部屋に飛び込んで来て、急いで一緒に現場に向かいました。幸い彼の家族は無事で再会することができましたが、家は全焼してしまいました。

彼は2週間後に子供が生まれる予定でした。子どものために買ったものや、一緒に住もうと夢見ていた場所がなくなってしまい、私としても非常にショックでなんと声を掛けていいか分からず、最後はろくに言葉も交わせずにお別れをしました。

■キャンプに充満する“絶望感”

――現地を取材して、どんなことを感じましたか?

2年前にも現地を取材しました。当時は2017年にミャンマーの治安当局が数千人のロヒンギャを虐殺するという事案があった直後でした。キャンプには新たにたくさんの難民がなだれ込み、家を建て、NGOの人が走り回り、難民キャンプには痛みと叫びが充満していました。

今回数年が経って、少ないながら家具が揃ったり、以前よりはシェルターを綺麗にしたり大きくしたりして、キャンプ内がある程度落ち着き始めていました。そんな中で起きた火災でしたので、振り出しに戻されたという絶望感が、まるで火災の煙のようにキャンプ全体に充満したように感じました。

■先行き見えず、現地民との軋轢も

――難民キャンプで生活するロヒンギャの人たちは、今後どうなるのでしょうか?

現在のミャンマー国内の混乱や、バングラディッシュ政府によるバシャン・チョール島という島への難民移住計画などさまざまなことがありますが、端的に言えば行き先は決まっておらず、先が見えていない状況です。

ホストコミュニティとの軋轢という問題を懸念しています。難民の彼らが支援を受けている一方、バングラデシュ国内には、難民の彼らよりも貧しい生活を強いられている人々がいて、「なぜ彼らだけ支援を受けるのか」という意見があります。

また、ロヒンギャ難民がドラッグの運び屋として使われ国内にドラッグを持ち込まされていたり、キャンプ外で不法に現地民より安い賃金で働いて雇用を奪ったりするなど、現地民には不満も溜まっています。深まる軋轢によって、難民の彼らが今の居場所さえ失ってしまう可能性もあると思います。

■小さなことでも、できることから

――ロヒンギャの問題。日本の私たちができることは?

小さくて意味がないと思うことでも、是非やってほしいと思います。

2年前にロヒンギャ難民キャンプに行ったのが、僕の初めての取材でした。カメラの使い方もよく分からない状態で足を運び、現実の厳しさに圧倒され、自分には何もできないかもしれないと思ってしまったんです。その時ロヒンギャの方に、「君が来てくれたという実存によって、『僕たちはまだ忘れられていない。僕たちを思ってくれる人がどこかにいる』と思える。自分たちの存在の承認や希望になるんだ」と言われました。

■鉛筆を受け取る難民の子どもたち

以前、北星鉛筆さんという老舗の鉛筆屋さんにご協力いただき、難民キャンプの学校に鉛筆を送らせていただきました。鉛筆代よりも送料の方が高かったのですが、“機能”とか“費用対効果”という問題ではありません。やはり人は心で生きていると思うんです。ささいなことでも、彼らの希望になります。ぜひどんなことでも、できることから始めていただけたらと思います。