×

ミャンマー政変:現地メディア命がけの闘い

2021年5月23日 16:49
ミャンマー政変:現地メディア命がけの闘い

クーデターで軍が全権を握るミャンマーで、メディアへの圧力がさらに強まっている。5月に入り、軍に免許を剥奪されたメディアは8社に増え、抗議デモを取材した記者に禁錮3年の判決が言い渡された。「我々には、人々の思いを伝える責任がある」危険を顧みず情報発信を続ける記者たち。現地メディアの命がけの闘いに迫った。

クーデターから3か月を前にした4月28日、SNSに8分10秒の映像が届いた。送り主は、ヤンゴンに本社を置くテレビ局「ミジマ」のソエ・ミント編集長だ。ミジマは免許を剥奪されたあとも、衛星放送やSNSを通じて情報発信を続けている。どのように発信しているのか、撮影を依頼した。

■キャスターの机は段ボール箱
映っていたのは、山奥にある小屋。中には十数台のパソコンと関連機器が所狭しと置かれている。扇風機の前で肩を並べて作業する記者たち。ニュースを読む女性キャスターは、段ボール箱を机代わりにしている。ミジマは拠点を山奥の小屋に移し、共同生活を送りながら放送を続けていた。「我々は、現在の憲法が軍に与えている権力を正確に知っている。去年の総選挙でNLD(※アウン・サン・スー・チー氏が率いる政党)が地滑り的な勝利を収めたあと、このような事態が起こり得ることを確信していた」

ソエ・ミント氏は、クーデターの前から拠点を移す準備をしていたと明かす。

■命を危険にさらすか、仕事を離れるか
ソエ・ミント氏はクーデターのあと、記者たちに問いかけた。「少なくとも今後2年間、ミジマと共に命を危険にさらすか、この仕事を離れるか、選んでほしい」

全権を握った軍は、メディアを弾圧することを経験から知っていた。仕事を続ける場合、治安当局による拘束など、多くのリスクを冒さなければならない。ソエ・ミント氏は、そのことを仲間に明確にしておきたかったという。ほとんどの記者が「仕事を続ける」と答えた。そして、全員がヤンゴンの本社を離れた。各地に散った記者は現在、「Hide-out(隠れ家)」に身を潜めるなどして取材を続けている。

■政治犯が監禁された部屋
治安当局に拘束された記者は、どうなるのか。記者と同じ刑務所に一時収監されていたという30歳の女性に話を聞くことができた。

女性によると、その記者は抗議デモの様子をSNSで中継していて拘束された。治安部隊から暴行を受け、腕にあざが残っていたという。記者は風も通らず日も当たらない部屋に入れられていた。広さは縦横1・5メートル、高さ4・5メートル、上部に50センチほどの窓があるのみ。

以前は政治犯が監禁されていた部屋だという。本来、独居房だという部屋に、記者を含め3人が入れられていた。女性は記者の様子について、「顔は疲れ、いつも眠そうに見えた」と話した。記者は現在も拘束されているとみられる。

話を聞かせてくれた女性も、抗議デモに参加して拘束された。治安部隊から、背中に7発、右手に1発、ゴム弾で銃撃されたという。女性は刑務所内で、体内に残っていたゴム弾3発のうち2発を摘出した。取り出したのは、医師には見えない男で、麻酔はなかった。残りの1発は、3週間後に解放されたあと、病院で取り除いた。

「国民は独裁政権を望んでいない。すべての人たちが平等な権利を持ち、平和に穏やかであってほしい。私たちは世界と同じレベルの新しい国をつくりたい」女性は民主主義を取り戻すために、再び闘うと話した。
(バンコク支局長・杉道生)

■人々の思いを伝える責任
クーデターから約4か月。治安部隊の容赦ない弾圧で、都市部で大規模な抗議デモは封じ込められている。ヤンゴン中心部では5月に入り、人通りや車の量が増え、街は日常を取り戻しつつあるようにも見える。しかし、抗議の声が消えたわけではない。若者らは治安部隊の取り締まりをかわすため、数分間程度のゲリラ的なデモを繰り返し、抵抗の意思を示し続けている。

一度手にした「自由」を、武力で奪った軍に対する怒りは強い。現地メディアも連日、こうした市民の抗議活動を伝えている。現地の人権団体によると、治安当局に拘束されている記者は53人。(※5月21日時点)危険と隣り合わせの報道。それでも、ミジマのソエ・ミント編集長は、弾圧に屈しない覚悟を語った。「人権と民主主義のための闘いだ。我々には人々の思いを伝える責任がある」

クーデターから4か月を迎えるミャンマーではいま何が起きているのか。人々の思いを毎週、伝えていく。