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上空から書類が…WTCからの脱出を写真に

2021年9月24日 20:52
上空から書類が…WTCからの脱出を写真に

2001年のアメリカ同時多発テロで、ワールドトレードセンタービルに飛行機が衝突した直後、ビルの中から脱出するまでを写真に記録していた人がいます。20年たった今の思いを聞きました。

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■パソコンが「ジリジリ」鳴った直後に横揺れ

アメリカ・ニューヨークにあるワールドトレードセンターにあったオフィスで同時多発テロに遭遇した本田一寿さん。2001年の9月11日は、北棟の45階のオフィスで、早朝の7時ごろから仕事を始めていました。

1機目の飛行機が北棟に衝突したのが午前8時46分。朝日が入る東側だったため、ブラインドを閉めて仕事をしていたら、突然、パソコンが音を立て始めたといいます。

本田さん
「パソコンが突然『ジリジリ』と鳴り始めて、そのまま仕事をしていましたらいきなり『ドーン』と横揺れというか、立てないぐらいになりました。ただ、そんな長い時間、揺れていた記憶はないですね。20~30秒ぐらいで揺れが収まったような記憶です」

最初は地震が起きたと思ったという本田さん。同僚とは「ニューヨークで地震が経験できるのは何百年に1回の経験だ」など冗談を言い合えるぐらい平穏でした。外の様子を見ようとブラインドを開けたところ、窓の外には見たことのない景色が広がっていました。

本田さん
「ちょっと外の様子でも見てみようかということで、ブラインドを開けましたら、ガラスとかトイレットペーパーや書類が紙吹雪のように舞っている状況で、何か変なことが起こっているかちょっと撮っておこうという形で(使い切りカメラを)取り出したのが最初ですね」


■衝突直後の3枚の写真…上空からは書類やガラス片が

“異変”に気づいた本田さんは、カバンの中に入れていた“使い切りカメラ”で窓の外を撮影しました。写真には上層階から無数の書類やガラス片などが朝日に照らされて舞い降りてくる様子がおさめられ、視界は白く煙り、先がかすんで見えます。避難を促す館内放送などはなく、本田さんはブラインドを閉め、再び仕事を続けました。

当時のワールドトレードセンタービルは、たばこ1本吸っただけでも火災報知機が反応して、全員が建物の外へ出されるぐらいの厳しい措置が取られるため、めったなことは起こらないと思っていたところ、「煙の臭い」が漂い始め、トイレに立ちました。

本田さん
「20~30分は仕事していたと思うんですが、キナ臭いというか、煙の臭いが漂い始めてオフィスを出てトイレに行きました。すると、排気口からすごい勢いで煙が出ていたんですね。非常階段で大勢の人が下りている音がドア越しに聞こえまして、オフィスに戻って先輩に逃げた方がいいと思いますと声をかけました」

本田さんは、カバンに“使い切りカメラ”を入れて同僚らと共に非常階段で1階へと向かったところ、ケガ人を優先させるという理由で、途中の40階でしばらく待機させられました。1時間ほどの間に状況は刻々と変わっていきます。

本田さん
「血だらけの人とか、ケガをした人が下りてきますし、下からは消防隊の人が赤い顔でハンマーや消火器を持ってどんどん上がってくるので、『頑張れ』と応援していました。たまたま外国人の方の携帯がつながって『ジャンボプレーンが突っ込んだらしいよ』という話が聞こえて、みんなで笑っちゃったんですよね。アメリカンジョークと思ってまして。せいぜいセスナかヘリコプターぐらいだろうと思って、その時は今日のお昼ご飯何にするとか雑談をしてたんですが、非常灯がチカチカして、真っ暗な状態になり、さらにどんどん白い煙が入ってくるものですから、ワイシャツを脱いで口に当てて『これはちょっとまずいのかな』と思い始めました」


■たどりついたロビーは水浸しで“がれき”だらけ

真っ暗になったところに立ちこめる白煙。女性が泣き出す中、突然、別の扉が開き、誘導に従いながら、本田さんは1階まで到着しました。たどりついたロビーはスプリンクラーで水浸しに。周りががれきだらけになっている様子も“使い切りカメラ”で撮影しました。

本田さん
「こんながれきがあたったら死んじゃうなと思いまして(外に)出て大丈夫かなと。ビルにいた方が安全じゃないのかなと思うぐらいがれきがすごい落ちていましたね」

促されるまま外に出ると、自分たちがいたタワーが燃えているのが目に入りました。あまりの光景に、「キャパを超えてしまったというか、怖くなくなってしまった」と話します。


■振り返ると…自分がいたビルが倒壊

周りからは「ペンタゴン(アメリカ国防総省)も、やられた」などの声が聞こえ、泣き崩れる人やケガ人もいて現場は混乱の極みに。とにかく逃げようと、同僚と共に当時住んでいた寮に向かって歩き始めました。

本田さん
「うわって人がすごい勢いで走り始めたので振り返ると、あの大きいビルが『ドーン』という音がして、なくなっていくんですよね。黒煙がどんどん迫るものですから、逃げるしかないということで、日本の会社と連絡を取るためリダイヤルをしながら歩いていました。そうすると2回目の『ドーン』という音がして、もう1つのビルまでなくなってしまいました。未曾有の危機が起こっているなと思ったところで日本につながりまして、『全員無事です』という報告をした時に、会社の人がすごい安堵していたのは覚えています」

数時間かけてたどりついた当時の寮は病院のすぐ隣だったため、テロ後の数日間は救急車のサイレンが鳴りっぱなしでした。飛行機が衝突する映像が流れるのを見ると、怖さと不安で眠れない日々がしばらく続きました。


■20年たっても記憶は色あせない

事件から20年たった今も本田さんはあの日のことは忘れないといいます。

本田さん「この時期になると涙もろくはなりますよね。9月は良い思い出が多かったんですけど、911以降はあまり好きじゃない月というか。年齢を重ねたので感傷的になっているというのもあるかもしれませんけど、別に20年たったから色あせたとかそういったことは全くないですね」