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パリの象徴「エッフェル塔」設計者没後100年目の真実 “エッフェル”の名を受け継ぐ日本人女性

2024年1月30日 19:30
パリの象徴「エッフェル塔」設計者没後100年目の真実 “エッフェル”の名を受け継ぐ日本人女性
“パリのシンボル”エッフェル塔

パリのシンボル・エッフェル塔。設計者は「鉄の魔術師」と呼ばれるギュスターブ・エッフェル氏。彼が亡くなってから2023年12月で100年が経った。当時の常識を覆す300メートルを超える高層の塔を、わずか2年という短期間で完成させた“天才”エッフェル氏。その名を受け継ぐ子孫でつくる家族会には、1人の日本人女性の姿があった。彼女はエッフェル氏の偉業の知られざる真実を、フランスで伝えている。

■“世界一有名な塔”を造った「ギュスターブ・エッフェル」

“世界一有名な塔”と言えば、エッフェル塔を思い浮かべる人も多いだろう。女性がスカートをはいているようにも見える、その優美な姿から「鉄の貴婦人」とも呼ばれている。1889年のパリ万博の目玉として建設され、以後130年以上にわたって世界中の人たちを魅了し続けている。年間の観光客数は約700万人。開業以降の観光客はのべ3億人を超え、世界で最も多くの人が訪れる有料入場の記念塔となっている。

エッフェル塔の建設前に存在した最も高い建物は、アメリカのワシントン記念塔で169メートルだ。エッフェル塔はこれを大きく上回る312メートルにも及んでいた(現在の高さは330メートル)。これほど高層の塔が19世紀に造られ、今でも多くの観光客を受け入れ続けているのは驚きだ。

その建設プロジェクトを率いた男の名は「ギュスターブ・エッフェル」。実は、アメリカにある自由の女神の骨組みの設計者でもある。また世界各地で鉄橋の建設にも携わったため、「鉄の魔術師」の異名もとっていた。技師としてだけでなく実業家としても成功し、さらに航空力学の先駆者としても活躍して、その分野の進歩にも多大な貢献をした“天才”だ。

エッフェル氏の没後100年となった2023年、その功績を称えるイベントがフランス各地で行われた。彼の子孫でつくる家族会が数多くの記念行事を計画。そこには「エッフェル」の名を受け継ぐ1人の日本人女性、由紀子・イエットマンエッフェルさんの姿があった。

埼玉県出身でグラフィックデザイナーの由紀子さんは、2007年に来仏。ギュスターブ・エッフェル氏から数えて5代目の孫にあたるサバンさんの妻で、「エッフェル家」の一員として先祖の偉業を伝える活動に貢献している。

■エッフェル塔に“嫉妬”…「私より塔の方が有名だ」

エッフェル氏は“作品の知名度”に反して、自身についてはあまり知られていないのが現実だ。実は、このような事態を予想していたのは、誰よりもエッフェル氏自身だったという。彼は「私はエッフェル塔に嫉妬するだろう。私より塔の方が有名だ」という名言を残したと言われている。

実際、由紀子さんも日本の知人に「エッフェル塔って、エッフェルっていう人が造ったの!?」と驚かれ、知名度の低さを痛感したことがあるという。こうした経験からも、偉大な先人の功績を日本の人にも広く知らせたいという強い思いを抱いている。

2023年夏にはエッフェル塔の広場で記念展示「エッフェル――高さへの挑戦」が開催され、由紀子さんが展示デザインと美術監督を担当した。エッフェル氏の仕事を“高層建築の世界史”に位置づける初めての試みで、フランス人からも高い評価を得た。

パリ随一のシンボルとなっているエッフェル塔だが、現在のような不動の地位を得るまでには様々な困難があったという。由紀子さんは、それらを克服したエッフェル氏の「技師」として、さらには「商人」としての有能さに感服したと話す。

建設において、特に苦労したのは、土台など下部の工事だったそうだ。塔の建設予定地がセーヌ河畔だったことは、水を含む地盤で行う基礎工事が困難なことを意味した。深さ約15メートルに及ぶ掘削作業を行うにあたって、エッフェル氏は鉄橋建設の経験を生かし「潜函(せんかん)工法」という当時の先端技術を採用。金属の“箱”を置き、その最下層に作業室を設け、圧縮した空気をそこに送り込んで水や泥の流入を防止しながら掘り進むことで、塔の基礎を築き上げた。

■「商人」として…勝負師・エッフェルの“ある強み”

さらに忘れてならないのは、エッフェル氏の商人としての「度胸」が建設に影響したことだという。実は当時、エッフェル塔には、ライバルとなるプロジェクトが存在した。著名な建築家が考案した石の「太陽の塔」だ。

しかし、エッフェル氏にはライバルにない強みがあった。それは“資金力”だ。鉄橋などの建設ですでに成功をおさめ、経済力があったエッフェル氏は、なんと建設費の大半について「自腹を切る」と約束したのだ。高層建築の歴史においては資金の問題でプロジェクトが失敗することがあったため、経済力はライバルをしのぐ上で大きな力になったという。

特に、高さ300メートルを超える塔はパリ万博の目玉であり、その開幕までに完成させることは至上命令だった。由紀子さんは「『お金がなくてやっぱりできませんでした』では済まされなかった」と笑う。

仮にエッフェル氏が実業家ではなく、潤沢な資金を融通できなければ、また前代未聞のプロジェクトに自身の財産をかけるというハートの強さがなければ、この世界一有名な塔は日の目を見なかったかもしれない。

さらに、文化的な問題もあったという。当時のパリの芸術家たちがエッフェル塔計画に敵意をむき出しにしていたのだ。芸術家たちは塔を「黒く巨大な工場の煙突」「ボルト締め鉄製の醜い円柱」などと罵倒して計画に反対。当時は“美しい建材は石”であり、鉄は表に出すものではないと考えられていたからだ。

しかし、これに対するエッフェル氏の応答は見事だった。「建築の美とは、目的に合った設計」であるとして、風圧に耐えるために設計されたエッフェル塔の4本の柱のゆるやかな曲線こそ美しいと主張したのだ。実際、塔を構成する鉄の棒が織りなす十字模様には、風圧に耐える頑丈さと軽量さを両立させるという実用性があるだけでなく、幾何学的な美しさで見る者を魅了している。今ではエッフェル塔の美しさを疑う者はいない。エッフェル氏が、科学的な合理性の追求から生まれる美を主張し、芸術家たちを完全に「論破」したといえる。

■エッフェル塔におとずれた解体の危機

そんなエッフェル塔だが、実はパリ万博の終了後、訪問者が減り、20世紀に入ってから解体の危機にさらされたことがあった。しかしエッフェル氏は、塔を航空力学研究や無線電信の拠点とするように売り込み、それによって危機を乗り越えた。彼のビジネスマンとしての才覚が、今日の世界的ランドマークの地位を築いたのだ。

■「エッフェル」の名を受け継ぐ“日本人”子孫

エッフェル一族の中には、意外なことに、土木や建設業の道を選んだ子孫はいないと由紀子さんは明かしてくれた。高名な先祖と同じ道を歩むことは、険しすぎる選択なのかもしれない。

そんな中、由紀子さんの長男で、エッフェル氏の6代目の孫にあたるアリオン君は、照れながらも「将来、橋をつくってみたい」と流ちょうな日本語で偉大な先祖に挑戦する野心を見せてくれた。二男のアシル君と共に日本文化が大好きだという。日本とつながりの深い“エッフェル”の名を受け継ぐ子孫が、先祖の思いをつなぎ、日仏両国をまたいで活躍する日も近いかもしれない。