スーダンから緊迫の脱出 軍事車両に囲まれ夜通し運転…日本人医師語る
軍と準軍事組織RSFとの間で武力衝突が続くスーダンから退避した日本人医師が26日、NNNの取材に応じ、脱出までの緊迫した状況を明かしました。
スーダンで15年以上医療支援を行っている、NPO法人ロシナンテス理事長の川原尚行医師。23日、スタッフやその家族などとともに、首都ハルツームを脱出しました。
川原さんは自ら運転し、軍と準軍事組織が支配する地域を交互に通過。丸一日かけて東部のポートスーダンに到着し、24日、自衛隊機でジブチに到着しました。
――退避はどのような経緯で決まったのでしょうか。
外務省から退避希望を聞かれていて、それに従おうと考えていたのですが、停戦2日目になってもなかなか連絡が来ず、「やっぱり来ないのかな、どうなのかな」と。
(停戦期限が)刻々と迫る中、このまま自衛隊機を待つのか、それとも陸路で行くのかというときに、国連の車列に加わらないかという話を受けました。停戦期間中に動かないといけないと思っていましたし、安全性も一番高いと考えて、22日の夜に連絡したところ、「翌日午前1時に集合」と。そこから夜通し準備をして、1時間睡眠で集合場所に向かい、国連の車列の中に入ることができました。
――ポートスーダンまで自ら運転されたということですが、どのような心境だったのでしょうか。
スーダンの人たちからは、「気をつけろ」と言われていました。集合場所まで行くときも、車列が動くときも、いつ襲われるか分からないからと。それから、「医者だということは絶対言うな」とも言われていました。医者だと言ってしまうと身柄を連れて行かれて、負傷兵の手当をさせられるということのようです。「お金は(要求されたら)絶対渡せ」とも注意されていたので、気が張った状態でした。
――移動中にトラブルはありましたか。
何の説明も受けずに「ゴー」と「ストップ」の指示に従っていたのですが…それはおそらく、国軍の支配地域とRSFの支配地域がまだらになっていて、どこが境界線かも分からずに抜けていかなければならなかったからでしょう。武装した人たちが乗っている軍事車両に囲まれて運転する、そんな状況でした。
そもそも12時間ぐらいで着くと思っていたのですが、夜通し運転しなければならず、辛かったです。うちのスタッフ2人、お母さん、3歳と1歳の子どもを乗せていましたので、その尊い命を私の運転ミスで亡くすことが怖かったですね。
そんなことがありながらも、なんとか到着できたのは本当に安堵がありましたけども、同時に停戦期間も終わってしまうわけですから、首都ハルツームの状況がすごく心配です。
――日本に帰ってからしたいことは。
家族に無事な顔を見せたいです。それから、今回は自衛隊、外務省、JICAさんにすごくお世話になりましたので、お礼に伺いたいと思っています。
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4月29日に妻との結婚記念日を迎えるという川原さん。もともとはスーダンにいる予定でしたが、今回の退避により日本で再会できることになったといいます。インタビューの最後に妻への思いを聞くと、「死ぬかもしれないと言っていたので、生きて会えてよかったねと伝えたい」と涙を浮かべながら語っていました。