【大使に聞く】フィンランドはロシアの脅威にどう立ち向かう 歴史的な政策転換…NATO加盟申請の舞台裏は
去年2月のウクライナ侵攻後、わずか3か月でNATO=北大西洋条約機構への加盟申請という歴史的な政策転換を決断したフィンランド。その舞台裏を、駐日フィンランド大使のタンヤ・ヤースケライネン氏に聞いた。
■ロシアの隣国フィンランド…ウクライナ侵攻の衝撃
――フィンランドはロシアと約1300キロにわたり国境を接していて、観光や貿易などの繋がりも深いですね。ロシアのウクライナ侵攻はフィンランドの人々にどのような衝撃を与えたのでしょうか。
フィンランドの人々は、ロシアが国際的なルール・秩序に反する恐ろしい行為に踏み切ったということ、このようなことが私たちの身近で起こりうるということに、とてもショックを受けたと思います。ご指摘のとおり、フィンランドには多くのロシア人観光客が訪れていました。パンデミックやウクライナ侵攻が起こるまでは、年間100万件近くの入国ビザをロシア国民に発給していましたし、私たちはロシア国民と交流することにとても慣れていたのです。
――一方で、フィンランドはロシアの脅威に備えて軍事力を維持してきましたね。
ロシアは以前からフィンランドに対して、領空侵犯や移民の道具化など、さまざまな影響力を行使してきました。ですから、私たちは万が一の事態に備えて準備を重ねてきたのです。フィンランドは長年にわたって非常に強力な軍隊を維持していて、軍隊は自国を守るというとても強い意志を持っています。私たちにはこのような備えがありますが、それでもウクライナ侵攻は多くの国民に衝撃を与えました。
■歴史的な政策転換…NATO加盟申請を迅速に決断できたワケ
――ウクライナ侵攻から約3か月後、フィンランドはNATOへの加盟を申請しました。
私たちはウクライナ侵攻後すぐに、欧州全体の安全保障環境がこれからどのように変化していくのかということを分析し、4~5週間で報告書を書き上げました。その結果、NATOに加盟する、あるいは加盟を申請することで、フィンランドやバルト海、欧州全体の安全保障環境がより良くなるだろうという結論に達したのです。
――ご自身も外務省幹部として加盟申請に携わられましたが、歴史的な政策転換を迅速に決断できたのはなぜなのでしょうか。
理由の1つとして、プロセスが非常にオープンかつ透明だったことが挙げられます。私たちは完成した報告書を国会に提出し、国会では専門家も招いて議論が行われました。入手可能な情報はすべてまとめられ、誰もが確認できるようになっていました。同時に、フィンランドの人々がウクライナ侵攻を受けて、NATO加盟についての意見を変え始めていることに気づきました。侵攻前はNATO加盟の重要性など誰も口にしませんでしたし、加盟に賛成する人々は全体の約30%でした。しかし、その数字は侵攻後上昇に転じ、最終的には80%程度に上ったのです。国民が加盟を広く支持していたために、プロセスを迅速に進めることができたと言えるでしょう。
■正式加盟までの道筋は…ロシアとの国境にフェンスを設置する計画も
――トルコやハンガリーがフィンランドのNATO加盟に難色を示していますが、加盟への道筋について教えてください。
NATO加盟のためにはすべての加盟国の批准が必要ですが、去年6月のNATOサミット以降、記録的な早さで28カ国の批准を得ることができました。これほど多くの国が迅速に批准したのは歴史上初めてで、とても喜ばしいことです。そしてご指摘の通り、私たちはトルコとハンガリーの批准を待っているわけですが、この2つが揃えばあとは非常に迅速かつ円滑に手続きが進められるでしょう。
――フィンランドは、ロシアとの国境にフェンスを設置する計画を進めていますね。
はい、政府は国境の一部にフェンスを建設することを決定しました。国境の全長は約1300㎞ですから、もちろんすべてに設置するわけではありません。国境検問所とその周辺に集中させ、全長の15%にあたる約200㎞に設置されることになるでしょう。まずは今年、リスクの高い地域で試験的にプロジェクトが進められる予定です。
■フィンランドに女性リーダーが多いワケ…大使も“3児の母”
――最後に、マリン首相をはじめ、フィンランドに女性リーダーが多いのはなぜなのでしょうか。大使ご自身も3人の子育てとキャリアを両立されていますが、秘訣を教えてください。
それは私の秘訣というより、フィンランド社会の「レシピ」と言ったほうが良いかもしれません。「生活の平等」と「男女の平等」は、ごく自然な価値観として社会に定着しています。男性も含めて誰もがこの平等の恩恵に気づいていますし、女性を含むすべての人が社会に貢献する必要があると考えられているのです。国の経済力や競争力を考えたときに、労働市場における人口の50%を無視することはできませんよね。ですから、私のキャリアは特例ではなく、「平等」を実現しているフィンランド社会を反映したものと言えるでしょう。