身元を明かさずに出産した10代の母 国内初の「内密出産」
「赤ちゃんポスト」が熊本市の病院に開設されて15年。その病院では母親が安心できるように特定の相談員以外に身元を明かさずに出産できる「内密出産」を導入した。果たして赤ちゃんと母親の未来の希望になるか。
◇◇◇
「お母さんも会いたかったけどね。なかなか来られなかったもんね」
身元を明かさずに出産した、10代の母。それは、国内初の"内密出産"でした。
慈恵病院 新生児相談室長 蓮田真琴さん
「もう引き寄せるように抱っこをして、声をあげて泣いていました」
それはどんな気持ちだった?
蓮田真琴さん
「会えなくなるからですか。すいません。本当は連れて帰りたかったと思うので…」
「内密出産」とは相談員1人だけに身元を明かし、病院では匿名で出産するドイツなどで導入されている制度。
内密出産の導入を決めていた、慈恵病院に10代の女性から相談がありました。
蓮田真琴さん
「元彼の子どもだったんですけれど、元彼からのDVにずっとあっていて別れたくても別れられない状況が続いていたんですけれど、妊娠を告げると『捨てられた』というふうに言われていました」
出産は、身元を明かさずにしたい…。
蓮田真琴さん
「お母さんからの過干渉が強かったみたいで、でもお母さんのことが好きだから離れられない。これで今回の妊娠と出産がばれてしまうと、本当に完全に親子の縁を切られてしまうのが怖いというふうに…」
慈恵病院の蓮田健理事長は女性の受け入れを決めました。
蓮田健理事長
「赤ちゃんを遺棄したり殺してしまったら元も子もないわけですから、それを防ぐには母子を病院で保護して安全に出産してもらう」
女性からの、「新幹線で出産するかもしれない」と突然の連絡。
蓮田健理事長
「『お腹が痛いって』出血しているという話になったので。それでちょっと慌てています。陣痛が強まっている可能性がありますから」
お産の進み具合を確認するため、博多駅まで迎えにいくことに。
蓮田真琴さん
「不安そうに寂しげな感じで立っていたのですぐわかって駆け付けて、『慈恵病院です。よく来てくれましたね。もう大丈夫ですよ』というふうに声を掛けました」
熊本の病院に着いた時には、すでに陣痛が始まっていました。名前も明かさぬまま、分娩台の上で1日過ごし、赤ちゃんを産みました。
蓮田真琴さん
「私もいままで何人もお産についたことはあるんですけれど、あの表情は初めてだったんですけれど。まず最初は呆然とした顔をした」
毎日面会にも訪れた女性。赤ちゃんに「ごめんね、幸せになってね。ごめんね」と言葉をかけていました。
蓮田真琴さん
「お母さんと赤ちゃんをつなぐものがなくなるので、匿名はやめたほうがいいですよという声掛けをずっとしていたんですね。あとで『自分がお母さんだよ』と名乗り出たとしても証明するものは何もないことになるので、『自分は我慢すればいいし、我慢には慣れている。だけど赤ちゃんがつらいのは嫌だ』とずっと言っていました」
蓮田健理事長
「ドイツでいう"出自証明書"ですけど、『お母さんの身元がわかるものを何か残していただきたい』とお願いしました。彼女が提出してくれたものは、健康保険証と顔写真付きの学生証のコピー。この中です。これがいわゆる出自証明書になると思いますけれども、この封筒は彼女から差し出された封筒だそうです」
女性が残したのは身元がわかる情報と赤ちゃんへの手紙。この封筒を開けるのは赤ちゃんが18歳になったときに決めたい。女性は病院にそう伝えました。
「無責任に産んで、無責任に置いていくけど大事に思っています…。大きくなった赤ちゃんへ」
病院を去る日。赤ちゃんを保育器から出して抱きしめました。声をあげて泣いていたといいます。"内密出産"で生まれた1人目の赤ちゃん。
「お母さんもこういった姿見たいでしょう」
病院から乳児院を経て、いま、里親のもとで暮らしています。怯えるお母さんを守りたい。赤ちゃんのために手がかりも残してあげたい。
蓮田健理事長
「非常に重い課題だと思いますけど、一方で赤ちゃんが殺されて遺棄されていく。内密出産を通じて1例でも減らすことが出来れば、それは大きな意味があると思っています」
2022年11月27日放送 NNNドキュメント’22『大きくなった赤ちゃん~ゆりかご15年~』をダイジェスト版にしました。
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「お母さんも会いたかったけどね。なかなか来られなかったもんね」
身元を明かさずに出産した、10代の母。それは、国内初の"内密出産"でした。
慈恵病院 新生児相談室長 蓮田真琴さん
「もう引き寄せるように抱っこをして、声をあげて泣いていました」
それはどんな気持ちだった?
蓮田真琴さん
「会えなくなるからですか。すいません。本当は連れて帰りたかったと思うので…」
「内密出産」とは相談員1人だけに身元を明かし、病院では匿名で出産するドイツなどで導入されている制度。
内密出産の導入を決めていた、慈恵病院に10代の女性から相談がありました。
蓮田真琴さん
「元彼の子どもだったんですけれど、元彼からのDVにずっとあっていて別れたくても別れられない状況が続いていたんですけれど、妊娠を告げると『捨てられた』というふうに言われていました」
出産は、身元を明かさずにしたい…。
蓮田真琴さん
「お母さんからの過干渉が強かったみたいで、でもお母さんのことが好きだから離れられない。これで今回の妊娠と出産がばれてしまうと、本当に完全に親子の縁を切られてしまうのが怖いというふうに…」
慈恵病院の蓮田健理事長は女性の受け入れを決めました。
蓮田健理事長
「赤ちゃんを遺棄したり殺してしまったら元も子もないわけですから、それを防ぐには母子を病院で保護して安全に出産してもらう」
女性からの、「新幹線で出産するかもしれない」と突然の連絡。
蓮田健理事長
「『お腹が痛いって』出血しているという話になったので。それでちょっと慌てています。陣痛が強まっている可能性がありますから」
お産の進み具合を確認するため、博多駅まで迎えにいくことに。
蓮田真琴さん
「不安そうに寂しげな感じで立っていたのですぐわかって駆け付けて、『慈恵病院です。よく来てくれましたね。もう大丈夫ですよ』というふうに声を掛けました」
熊本の病院に着いた時には、すでに陣痛が始まっていました。名前も明かさぬまま、分娩台の上で1日過ごし、赤ちゃんを産みました。
蓮田真琴さん
「私もいままで何人もお産についたことはあるんですけれど、あの表情は初めてだったんですけれど。まず最初は呆然とした顔をした」
毎日面会にも訪れた女性。赤ちゃんに「ごめんね、幸せになってね。ごめんね」と言葉をかけていました。
蓮田真琴さん
「お母さんと赤ちゃんをつなぐものがなくなるので、匿名はやめたほうがいいですよという声掛けをずっとしていたんですね。あとで『自分がお母さんだよ』と名乗り出たとしても証明するものは何もないことになるので、『自分は我慢すればいいし、我慢には慣れている。だけど赤ちゃんがつらいのは嫌だ』とずっと言っていました」
蓮田健理事長
「ドイツでいう"出自証明書"ですけど、『お母さんの身元がわかるものを何か残していただきたい』とお願いしました。彼女が提出してくれたものは、健康保険証と顔写真付きの学生証のコピー。この中です。これがいわゆる出自証明書になると思いますけれども、この封筒は彼女から差し出された封筒だそうです」
女性が残したのは身元がわかる情報と赤ちゃんへの手紙。この封筒を開けるのは赤ちゃんが18歳になったときに決めたい。女性は病院にそう伝えました。
「無責任に産んで、無責任に置いていくけど大事に思っています…。大きくなった赤ちゃんへ」
病院を去る日。赤ちゃんを保育器から出して抱きしめました。声をあげて泣いていたといいます。"内密出産"で生まれた1人目の赤ちゃん。
「お母さんもこういった姿見たいでしょう」
病院から乳児院を経て、いま、里親のもとで暮らしています。怯えるお母さんを守りたい。赤ちゃんのために手がかりも残してあげたい。
蓮田健理事長
「非常に重い課題だと思いますけど、一方で赤ちゃんが殺されて遺棄されていく。内密出産を通じて1例でも減らすことが出来れば、それは大きな意味があると思っています」
2022年11月27日放送 NNNドキュメント’22『大きくなった赤ちゃん~ゆりかご15年~』をダイジェスト版にしました。