特集「キャッチ」全焼した映画館が再び同じ場所で歴史を刻み始める 一夜だけ復活のバーも 福岡
同じ場所で再び歴史を刻み始めた小倉昭和館
続いては、特集「キャッチ」です。火災に巻き込まれ全焼した北九州市の映画館、小倉昭和館が多くの人の支援で同じ場所に再建されました。旦過の地で再び歴史を刻み始めました。
芝居小屋として始まった小倉昭和館は、83年間、旦過市場とともに歴史を重ねてきました。
焼失前は北九州市で唯一フィルム上映ができる映画館でしたが、シネマコンプレックスが主流となる中で厳しい経営が続いていました。
■館主・樋口智巳さん
「一番人気はシネマ塩キャラメルです。」
2021年、3代目・館主の樋口智巳さんは、自ら売り子となったりイベントを仕掛けたりしてきましたが、それも限界を迎えようとしていたといいます。
■息子・直樹さん
「母さんが泣きながら電話してきて私はダメや、死にたい、つらいつらい。」
小倉昭和館を一人で背負ってきた母を助けたいと、息子の直樹さんはそれまで働いていた介護の仕事を辞めて戻ってきました。親子で立て直そうと決めた矢先に、あの日は訪れました。
焼失した映画館を再建するには1億円を超える費用がかかるため、樋口さんは再建をあきらめようとしていました。
不可能に思えた再建を後押ししたのは全国のファンです。クラウドファンディングなどで約4000万円の支援金が集まったのです。
それでも、樋口さんは不安を漏らしていました。
■樋口さん
「本当に悩んでいます。寝られない。」
映画館の経営を続ける自信がなかったからです。
■樋口さん
「限られた財源でも自分たちのお金ならこれでやろうってなるんだけれど、やっぱり皆様の大切なお金をお預かりしてやるんだから、慎重に慎重に。建てて終わりじゃないから。足を運んでいただける映画館じゃないといけないってことだから。そこからが正念場ですね。」
そんな時、樋口さんのもとに大阪の映像機器会社から連絡がありました。ニュースで火災を知った会社から、フィルム映写機を寄贈したいという申し出でした。映写機はイタリア製の35ミリフィルムで、阪神淡路大震災からの復興のシンボルとして立ち上がった映画館で使用されていたものです。
しかし、経営難で映画館が閉鎖したあと、映写機は10年以上、使われていませんでした。
■モノリス・松田 敬さん
「震災がらみで閉めた所の映写機を、復興の所に持って行って稼働させた。」
■樋口さん
「また命を吹き返して。全然知らない方から言ってもらえて、大きな励み。力でした。」
樋口さんは映画館を再建するなら、小倉昭和館の“売り”の一つだったフィルム映写機をもう一度導入したいと思っていましたが、高額のため踏み出せずにいました。
新たな小倉昭和館は2つあったスクリーンが1つに減りましたが、シートは前と同じ緑色にしました。応援してくれた映画関係者、およそ40人の名前が刺しゅうされています。
■樋口さん
「ここからまた始まりますね。こんな風にできるなんてね。私1人では何もできなかった。火事の時はこんなに不幸なことはと思いましたけれど、本当に幸せ者ですね。」
■映画ファン
「自分たちの居場所みたいな感じで来ていたので、形は変わるけどスタート切れたのでうれしく思っています。」
「なくしてはいけないと思うので。たくさん応援しています。」
■北九州出身・光石 研さん
「最高ですね、ネオンが。外も昔のまま。面影があって。」
再出発した場所にどうしても設けたかったものが、カフェスペースでした。
■樋口さん
「火災で(旦過市場の)お店が無くなって再建できていない方に一夜だけでも戻っていただだいて、この店を自分の店だと思ってやっていただければ。」
■河野トシ子さん(86)
「あーお久しぶり。お元気そうで。私も元気になったよ。」
12月に初めて開催された北九州国際映画祭に合わせて、小倉昭和館で一夜だけ復活したのは、バー「しろ」です。旦過地区で61年間にわたり営業していたバーで、市民はもちろん芸能人にも親しまれてきました。
店舗は火災で全焼し、そのまま閉店を余儀なくされました、
■北九州出身・リリー・フランキーさん
「うわ、うま!」
■河野さん
「ありがとう」
■リリーさん
「本当においしいんですよ。お母さんが作るカクテル。果物に囲まれてその向こうでカクテル作っている姿はファンタジーだった。」
■河野さん
「楽しいよ。今度は何飲むの?」
■館主・樋口さん
「映画を見るだけではなくて皆さんの居場所になれるような。居心地のいい場所。ワクワクできる場所でありたい。」
多くの人の支援で再生した小倉昭和館は旦過の地で再び、歴史を刻み始めました。
芝居小屋として始まった小倉昭和館は、83年間、旦過市場とともに歴史を重ねてきました。
焼失前は北九州市で唯一フィルム上映ができる映画館でしたが、シネマコンプレックスが主流となる中で厳しい経営が続いていました。
■館主・樋口智巳さん
「一番人気はシネマ塩キャラメルです。」
2021年、3代目・館主の樋口智巳さんは、自ら売り子となったりイベントを仕掛けたりしてきましたが、それも限界を迎えようとしていたといいます。
■息子・直樹さん
「母さんが泣きながら電話してきて私はダメや、死にたい、つらいつらい。」
小倉昭和館を一人で背負ってきた母を助けたいと、息子の直樹さんはそれまで働いていた介護の仕事を辞めて戻ってきました。親子で立て直そうと決めた矢先に、あの日は訪れました。
焼失した映画館を再建するには1億円を超える費用がかかるため、樋口さんは再建をあきらめようとしていました。
不可能に思えた再建を後押ししたのは全国のファンです。クラウドファンディングなどで約4000万円の支援金が集まったのです。
それでも、樋口さんは不安を漏らしていました。
■樋口さん
「本当に悩んでいます。寝られない。」
映画館の経営を続ける自信がなかったからです。
■樋口さん
「限られた財源でも自分たちのお金ならこれでやろうってなるんだけれど、やっぱり皆様の大切なお金をお預かりしてやるんだから、慎重に慎重に。建てて終わりじゃないから。足を運んでいただける映画館じゃないといけないってことだから。そこからが正念場ですね。」
そんな時、樋口さんのもとに大阪の映像機器会社から連絡がありました。ニュースで火災を知った会社から、フィルム映写機を寄贈したいという申し出でした。映写機はイタリア製の35ミリフィルムで、阪神淡路大震災からの復興のシンボルとして立ち上がった映画館で使用されていたものです。
しかし、経営難で映画館が閉鎖したあと、映写機は10年以上、使われていませんでした。
■モノリス・松田 敬さん
「震災がらみで閉めた所の映写機を、復興の所に持って行って稼働させた。」
■樋口さん
「また命を吹き返して。全然知らない方から言ってもらえて、大きな励み。力でした。」
樋口さんは映画館を再建するなら、小倉昭和館の“売り”の一つだったフィルム映写機をもう一度導入したいと思っていましたが、高額のため踏み出せずにいました。
新たな小倉昭和館は2つあったスクリーンが1つに減りましたが、シートは前と同じ緑色にしました。応援してくれた映画関係者、およそ40人の名前が刺しゅうされています。
■樋口さん
「ここからまた始まりますね。こんな風にできるなんてね。私1人では何もできなかった。火事の時はこんなに不幸なことはと思いましたけれど、本当に幸せ者ですね。」
■映画ファン
「自分たちの居場所みたいな感じで来ていたので、形は変わるけどスタート切れたのでうれしく思っています。」
「なくしてはいけないと思うので。たくさん応援しています。」
■北九州出身・光石 研さん
「最高ですね、ネオンが。外も昔のまま。面影があって。」
再出発した場所にどうしても設けたかったものが、カフェスペースでした。
■樋口さん
「火災で(旦過市場の)お店が無くなって再建できていない方に一夜だけでも戻っていただだいて、この店を自分の店だと思ってやっていただければ。」
■河野トシ子さん(86)
「あーお久しぶり。お元気そうで。私も元気になったよ。」
12月に初めて開催された北九州国際映画祭に合わせて、小倉昭和館で一夜だけ復活したのは、バー「しろ」です。旦過地区で61年間にわたり営業していたバーで、市民はもちろん芸能人にも親しまれてきました。
店舗は火災で全焼し、そのまま閉店を余儀なくされました、
■北九州出身・リリー・フランキーさん
「うわ、うま!」
■河野さん
「ありがとう」
■リリーさん
「本当においしいんですよ。お母さんが作るカクテル。果物に囲まれてその向こうでカクテル作っている姿はファンタジーだった。」
■河野さん
「楽しいよ。今度は何飲むの?」
■館主・樋口さん
「映画を見るだけではなくて皆さんの居場所になれるような。居心地のいい場所。ワクワクできる場所でありたい。」
多くの人の支援で再生した小倉昭和館は旦過の地で再び、歴史を刻み始めました。