【東日本大震災から13年】1人でも多くの命が助かるように 福岡に移住した被災者 津波の恐ろしさ・避難の重要性を伝え続ける
東日本大震災から13年が経ち、全国で鎮魂の祈りが捧げられました。被災者のひとりは「あの日の記憶」に苦しみながらも、移住先の福岡の子どもたちに災害のことを伝えたいと「語り部」の活動を続けています。
11日、久留米市役所でも、地震が発生した午後2時46分に合わせ、職員が黙とうを捧げました。
巨大津波が東北を襲った13年前の東日本大震災では1万5900人が死亡し、現在も2520人の行方がわかっていません。
一方で、避難生活などで震災に関連して亡くなった人は、3802人にのぼっています。
久留米市では地震発生以降、毎年、市役所や市民センターなどの公共施設で、半旗の掲揚や黙とうを行っています。
■久留米市 河川課・古田健人さん
「地震は自然のものなので、いつ誰が被害に遭うか分からない。地震を風化させないことが大事。」
■東日本大震災で被災・齋藤直志さん(55)
「(海が)ちょっと荒れるだけで胸がザワザワする。(Q.記憶に?)ちょっと思い出すところはあるよね。」
今も13年前の「あの日」の記憶が消えることはありません。
福岡県福津市に住む齋藤直志さん(55歳)です。東日本大震災の被災地、宮城県亘理町から移り住んで13年になります。
■齋藤さん
「ずんだ餅作ったので食べてみてください。(Q.宮城の?)宮城県人が作ったずんだ餅です。(Q.今でも故郷の味を作る?)作りますよ。忘れられないですね、東北人は。」
13年前のあの日、宮城県の沿岸部、亘理町で暮らしていた斎藤さんは、職場があった山元町で被災しました。
山元町は町の4割が津波で浸水し、600人以上が犠牲になりました。齋藤さんの親戚や友人も津波によって命を奪われました。
■齋藤さん
「大切な人を亡くした人って、その瞬間、時間が止まっちゃうんですよ。心の整理がついてないから。それをずっと引っ張って、自分なりに砕いて、節目節目で忘れようともするんだけど、なかなかそうもいかない。」
震災から1年以上が経ったころ、斎藤さんは突発的によみがえる津波の恐怖に苦しめられるようになりました。
その後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、一時、仕事ができなくなりました。
■齋藤さん
「黒い塊が迫ってきて、白いしぶきっていう。波が迫ってきて、映画のワンシーンですよ、本当。それが目の前で起きて。海が憎いのひと言です。楽しいことしてても嫌な思い出がぶり返し入ってきて、そのたび自分の心を削っていくような。」