熊本地震の記憶や教訓どう語り継ぐ?風化させない「震災遺構」
「しほママの防災術」。防災士の柳原志保さんとお伝えします。
(しほママ)
今回のテーマはこちら。「熊本地震の記憶や教訓をどう語り継ぐか」について考えます。1月17日には、阪神淡路大震災から30年を迎えました。長い年月が経過すると当時の記憶は薄れてしまいがちです。そこで年々その役割の重要性が高まっているのが「震災遺構」です。
(緒方太郎キャスター)
県内では震災遺構や拠点を見て回ってもらおうという思いから「熊本地震 震災ミュージアム記憶の廻廊」という取り組みを進めていますよね。
(しほママ)
今回、その震災遺構を訪ねてきました。
【VTR】
しほママが訪れたのは、熊本地震で2度の震度7に襲われた益城町にある布田川断層帯「谷川地区」です。こちらの震災遺構は、狭い範囲の中に2方向の地震断層帯が表れた世界的にも珍しい場所なんです。国の天然記念物に指定されています。この場所では、被災当時の写真や図を使って分かりやすく説明した看板が設置されています。理解を深めることができるんです。
■しほママ
「現地にくるからこそ想像ができる、図があることで想像ができるので、改めて現地に足を運ぶことの大事さを痛感しています」
また、同じ益城町にある堂園地区の「布田川断層帯」も訪れました。畑に地震の断層が表れていて、“横ずれ”を見ることができました。
続いて訪れたのは、南阿蘇村にある「震災ミュージアムKIOKU」です。地滑りに巻き込まれ、土砂で押しつぶされた車や崩落した阿蘇大橋に設置されていた看板など被害の爪痕を伝える品々が展示されています。この日は、語り部ガイドの藤本誠司さんが案内してくれました。
■藤本誠司さん
「地震を体験しました。大学生に授業もしていました。教え子も亡くなってしまいました。語り継いでいくのが私の仕事」
(しほママ)
実は藤本さん。地震が発生した2016年は、この施設の隣にある旧東海大学阿蘇キャンパスで非常勤講師として物理や化学を教えていました。藤本さんによりますと、キャンパスには学生約1000人が通っていて活気にあふれていたそうです。
地震の3か月後に撮影した校舎の中の様子です。大きな亀裂や壁のコンクリートが剥がれ落ちるなど被害の大きさを物語っています。そして今も、激しい衝撃を受けた建物が、当時の姿のまま展示されているんです。藤本さんは、地震の被害のほかにも訪れた人たちに必ず話すことがあるといいます。それは…。
■藤本誠司さん
「ここで頑張っていた学生の話をしたい。ここで頑張っていたけど道半ばで倒れた子もおるよと。二十歳前後でね。そういう話をすると子どもたちの(表情は)変わりますよ」
一方で懸念しているのが「地震の記憶の風化」です。
■藤本誠司さん
「これはすごいですよ。この忘れよう。風化。(熊本地震の時に)生まれていない子がたくさんいますからね。小学校高学年でギリギリでしょう。9歳10歳。絶対ここにきて、実際を見て話を聞いて改めて記憶してもらいたい」
■しほママ
「リアルでこの空気感だったり生の声だったり実物を見るだったり、この五感で感じないと人は伝わらないなと思ったので、震災遺構を見てもらいたいですね」
【スタジオ】
(しほママ)
授業やインターネットで学ぶのとは違う、とても心に響く体験でした。次の世代を担う子どもたちや若い人には特に足を運んでもらいたいと思いました。そして、県内では被災地に関心を持ってもらおうという取り組みも行われています。
人気アニメ、ワンピースの作者で熊本出身の尾田栄一郎さんが被災地の復興を後押ししているプロジェクトです。このように阿蘇市のウソップや益城町のサンジなど、被害が大きかった自治体に麦わらの一味の銅像が設置されているんです。
【VTR】
■しほママ
「熊本市動植物園です。そして入り口の前にあるのが、チョッパー像です。かわいいですね」
国内はもちろん、国外のワンピースファンたちもこの銅像をめぐる“聖地巡礼”に訪れているんです。この日は、大阪から訪れた人もいました。
■大阪から訪れた人
「熊本の観光ガイドブックを見て知りました。僕の地元が富山なんですけど、去年1月に能登半島地震もあったので、熊本地震、阪神淡路大震災もですけど、気にはなりますね。
【スタジオ】
今回の格言はこちら。「震災遺構で備えのスイッチを」。震災遺構を訪れることで心の中にある次の災害への備えのスイッチを押すことにつながります。まもなく9年という時間が経った今だからこそ行ってほしいと感じました。