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「3.11を知らない世代」東日本大震災の被災地を熊本の高校生が訪問

2023年11月30日 18:41
「3.11を知らない世代」東日本大震災の被災地を熊本の高校生が訪問

熊本の夏の風物詩・山鹿灯籠おどり。ことし4年ぶりの千人灯籠踊りが披露されました。

今度は、東日本大震災の被災地へ。12年前を知らない世代が踊りに込めたこととは。

■ 11月14日 仙台市

熊本伝統の「山鹿灯籠踊り」。披露されたのは、東日本大震災の被災地・宮城県です。

11月8日、山鹿市の鹿本農業高校の体育館では、高校生たちが山鹿灯籠おどりの練習の真っ最中でした。


鹿本農高の郷土芸能伝承部は35年以上にわたり山鹿灯籠踊りを受け継ぐ歴史のある部です。

頭に掲げる金灯籠は、重さわずか180gほど。手漉き和紙と糊だけで職人が一つひとつ手がける伝統工芸品です。

室町時代が起源とされる山鹿灯籠。ことし8月には4年ぶりに山鹿の夜を幻想的なあかりで彩りました。

■鹿本農高3年・冨吉葉月さん
「ことし初めて山鹿灯籠まつりに出てたくさんの人に見てもらえてとてもうれしかったし後輩と一緒に出られるうれしさがありました」

新型コロナの影響で人前で披露する機会が少なかった生徒たち。この日行っていたのは、東北での慰問に向けた練習です。

2011年3月11日。宮城県北部で最大震度7を観測した東日本大震災。東北地方には、大津波が押し寄せ、甚大な被害をもたらしました。

生徒たちは当時、3歳から5歳。幼く、震災の記憶が薄い世代です。

震災から5年が経った2016年、郷土芸能伝承部は宮城に住む人からの依頼を受け、津波の被害を受けた場所での追悼公演を始めました。

それから約1か月後、今度は、熊本を大きな地震が襲ったのです。

■鹿本農高2年・塚本夢季さん
「私たちも熊本地震などで大きな被害を受けたり、東日本大震災の方も大きな私たち以上の被害を受けていて互いに励ましたいなという気持ちで元気を与えられたら」

4年ぶりとなった今回の訪問。高校の文化祭を終えた夜、フェリーやバスで東北へ向かいます。

紙の灯籠が傷まないように気を配りながらの移動です。

宮城県名取市で開かれた熊本地震と東日本大震災の追悼イベントには約1000人が集まりました。

■鹿本農高3年・小村璃乃愛さん
「あの光景、起こったことを風化させてはならないと、私たち若者は日本で起きてしまった自然災害を伝えていくという役目があります。日々取り組んでいる郷土芸能も同じです」

被災という経験を通じて思いを寄せ合い、踊りへ込めます。

■観客(仙台市から)
「4年前にも来たそのときに山鹿灯籠すごくよかったから、きょうも灯籠狙いで来た。よかった。感動しました」
「なかなか現地に行かないと見られないものというのは素晴らしい。大変ありがたい会でした」

■鹿本農高3年冨吉葉月さん
「演技が終わるたびに拍手をしてくださって、私たちのことを待っていてくださっていた思いが伝わってとてもうれしかったです」

ステージイベントの翌日、生徒たちが千羽鶴を手に訪れたのは、太平洋に面する港町・名取市閖上です。

大きな津波が押し寄せ、住民の約1割・1000人余りの命を奪いました。

震災から12年。津波にのみ込まれた町は更地が広がり、復興は道半ばです。

語り部の格井直光さん(ふらむ名取・代表理事)は震災後、復興の歩みを地域情報誌で伝え続けてきました。

■格井直光さん
「名取市では923名が亡くなりました。81.6%の方が閖上地区の住民です。その81.6%の中に私の両親も入っている。ですからこういう思いは二度としたくないので、このように今活動をしています。こんな活動をして13年目に入っています」

閖上の慰霊碑、高さ8.4mの「芽生えの塔」。

同じ高さの津波が、この場所を襲いました。

■格井直光さん
「下からあんな津波が襲ってきた。地震がきたらとにかく逃げろと考えてこの辺の言葉で『空振ってもいいんでねぇの。助かれば』という言葉を残しました」

身をもって学んだ津波の教訓。

■鹿本農高2年・橋本歩奈さん
「ここまで波が押し寄せてきたことが本当に実際に日本にあるのかなという思いでずっと聞いていました」
■鹿本農高2年・後藤裕太さん
「(当時は)自分が幼くて薄い記憶しかなかったけど、実際に見てみると考えさせられるようなことがいっぱいありました」

4年ぶりに宮城に響いた山鹿灯籠踊り「よへほ節」。

伝統の舞を通じて東日本大震災を知らない世代が震災の記憶を刻みます。

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