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「津波の恐ろしさ」「日頃からの備え」訴える 東日本大震災を経験した気象台職員 

2025年3月10日 18:25

東日本大震災からあすで14年です。
当時、宮城県仙台市で、東日本大震災を経験した男性が宮崎地方気象台にいます。
あの日を振り返り、男性が訴えるのは「津波の恐ろしさ」と「日頃からの備えの大切さ」です。
ストレスを感じた場合は視聴を控えてください。

宮崎地方気象台に勤める真茅洋介さん46歳。
14年前は、宮城県の仙台管区気象台で地震の観測などを担当していました。
3月11日の午後2時46分、夜勤を終え、仙台市にある宿舎で仮眠をとっていた時に地震が発生しました。

(宮崎地方気象台 真茅洋介さん)
「とても大きな揺れで目が覚めまして。揺れがとても長くて、3分くらい続いたのを記憶しています。すごく激しい横揺れで、テレビとパソコンのディスプレイが非常に激しく横に揺れ動きました」

震度6強という経験したことのない長く大きな揺れ。
真茅さんの頭に浮かんだのは「津波」でした。

(宮崎地方気象台 真茅洋介さん)
「頭に浮かんだのは、やはり津波ですね。これだけ非常に大きな揺れですので、間違いなく津波が来るのではないかと考えていました」

宿舎の寮長をしていた真茅さんは、建物に被害がないか確認したあと、自転車で仙台管区気象台へ。

(宮崎地方気象台 真茅洋介さん)
「巨大な地震が発生し、緊急対応ということで、記者レクの資料や緊急作業の手伝いをしてたと思うのですが…。忙しくて記憶が飛んでいるのか、当時の記憶があまり思い出せない」

業務に追われ、気づいた時には真夜中に…。
ふとテレビに目をやると、街を飲み込む津波が映し出されていました。

(宮崎地方気象台 真茅洋介さん)
「車が津波に飲み込まれていく様子が映っていて、恐ろしい光景を見て、びっくりしたのを覚えています。津波は恐ろしいものだと改めて思いました」

電気・ガス・水道・電話…。全てのライフラインが止まる中、気象台で寝泊りしながら業務にあたり、家に帰ることができたのは約2週間後だったと言います。

真茅さんは2022年に宮崎地方気象台に赴任。
南海トラフ地震防災官として、県内の地震活動などについて自治体や報道機関に説明する役割を担っています。

(宮崎地方気象台 真茅洋介さん)
「気象庁の使命だと思っているのですが、正確な情報をより分かりやすく、迅速に伝えることを心がけています」

日向灘地震や南海トラフ地震のリスクを抱える宮崎県。
真茅さんは、東日本大震災の経験から「特に津波に注意してほしい」と訴えます。

(宮崎地方気象台 真茅洋介さん)
「強くなくても長くゆっくりとした揺れを感じてしまうと、津波が発生する可能性もあります。その時は、気象庁が発表する津波警報の発表を待たずに、ただちに高いところに避難していただきたい。地震はなんの前触れもなく、突然やってきます。自分の命は自分で守ることを念頭に、日頃から地震への備えをしていただきたい。」

最終更新日:2025年3月10日 19:34
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