【初公開】石原慎太郎氏 生前の「俳句集」…知られざる夫婦愛に死生観も
去年2月1日、すい臓がんのため89歳で亡くなった石原慎太郎氏。翌3月には典子夫人も後を追うように亡くなった。その一周忌を行う3月初頭にあわせ、夫妻の「俳句集」を完成させる予定だという。これに先立ち、夫婦愛や死生観を感じさせる夫妻の俳句を初公開する。
■俳句集「青葉風」 夫妻が詠んだ585句
俳句集はそもそも、石原慎太郎夫妻が生前に作るつもりで準備していたものだという。俳句を趣味としていた典子夫人は20年にわたって1500もの句を詠んだ。対する慎太郎氏は21句と、あまり熱心ではなかったようだが、作家として、妻が俳句に取り組むことには好意的であったそうだ。
夫妻の俳句集は「青葉風」とのタイトルをつけ、夫妻の一周忌を執り行う3月初頭にあわせて完成させるべく準備しているという。典子夫人の俳句は1500のうち564句を厳選し、慎太郎氏は21句すべてを掲載する予定だ。
■共に過ごす時間が「人生そのもの」
典子夫人の詠んだ俳句は家族を題材にしたものが多く、中でも慎太郎氏のことを詠んだ句が突出しているという。例えば次のような句の数々だ。
お雑煮のこくがあるなと夫の言う 典子
初詣手を振る夫を見つけたり 典子
初暦夫の選びしキリコの絵 典子
母の日や父の日いつと夫の云ふ 典子
夫の声あゝまだ夏が残ってる 典子
注連縄を夫と作りし年の暮 典子
■母が詠む父の姿は
夫妻の4男で画家の延啓氏は「母が詠む父」について、こう話す。
「父との些細な会話はもちろん、日常で呼びかけられるひと声までも俳句に詠まれています。父と過ごす時間が母にとっての人生そのものであったことが改めて見てとれます」
「他にも気づいたことがあります。例えば『子ら去りて画集を捲る夜寒かな』や『硫黄島両手合わせる初飛行』といった句の場合、一見すると母が自分の体験を詠んでいるように思えますが、母が能動的に画集を捲ることは想像しにくいし、硫黄島は都知事として父が視察したときのことでしょう。これらは母の視点ではなく、父の行為や父から見聞きした情景を自分で見たことのように父に成り代わって詠んでいる。いずれも父が主役なんですね。そんな句が他にも多数あり、母の父に対する敬愛の情が滲み出ているように感じました」
■“自然”を詠んだ慎太郎氏…典子夫人との「絆」
一方、慎太郎氏が詠んだ句は、典子夫人とは異なり「自然の風景」を詠んだものが圧倒的に多いという。
ひとりぼち大樹の蔭もたんぽぽも 慎太郎
啓蟄や年を越したる蜘蛛に逢ふ 慎太郎
猿にても憂き世ながらの桜かな 慎太郎
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その中で、延啓氏が「母との絆を感じさせる句」としてあげたのが次の一句だ。
くれないのうつぎや遺跡の太柱 慎太郎
延啓氏によれば、俳句の「遺跡の太柱」は三内丸山遺跡を代表する6本の掘立柱のことを指しているという。実は、典子夫人も同じ時期に「縄文の墓のまろさや青田風」という句を詠んでいた。このため延啓氏は、2人で遺跡を巡りながら、お互いに俳句を詠んだのかと思い、調べたそうだ。だが、実際には遺跡巡りには行っていなかったという。
しかし、夫婦で旅行する機会は度々あった。慎太郎氏の秘書は延啓氏に「(慎太郎氏は)世間で言われているほど亭主関白ではなくて、奥様に対しては優しく、大変気を使っていらっしゃいました」と話したという。
慎太郎氏と言えば、弟・裕次郎氏と同じく、海を愛したことで知られる。荼毘に付された後は、遺骨の一部が海へと還された。そんな慎太郎氏が死生観を詠んだのが次の一句だ。
わが魂は海獣(けもの)ならんと欲す 慎太郎
生前は輪廻転生を否定していたという慎太郎氏だが、生まれ変わったらクジラとなり、海を泳ぎ回りたいと思っていたのだろうか。
あす10日発売の月刊文芸春秋には、4男・延啓氏の解説と共に俳句集に関する記事が掲載される。