「完璧に死んでみせる」石原慎太郎さん 最期の原稿“死への葛藤と覚悟”
先月1日に亡くなった、作家で元東京都知事の石原慎太郎さんが最期に書き残した文章が見つかりました。ワープロで打たれた約2100文字の原稿には、死に直面した石原さんの葛藤がつづられていました。
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「死への道程」。これは、先月89歳で亡くなった石原慎太郎さんが、余命3か月と宣告を受けたあと、自身の心境をワープロでつづった原稿です。
死を前にした石原さんの葛藤が、文学者ならではの表現で描かれていました。
石原さんは、親族に文藝春秋への掲載を託し、10日、世に出ることになります。
文章は、去年10月19日、続いている腹痛の原因を調べようと、病院を訪れた場面から始まります。
「あれは一目にも恐ろしい光景で、私も思わず息を飲んで今さらおいつくまいと覚悟しながら画面一面満天の星のように光り輝く映像を眺めながら、『これで先生、この後どれほどの命ですかね』質したら、 即座にあっさりと『まあ後三ケ月くらいでしょうかね』宣告してくれたものだった。以来、私の神経は引き裂かれたと言うほかない」
石原さんは病院での検査で膵臓(すいぞう)がんの転移が見つかり、余命宣告を受けたのです。
「以来果てしもない私自身の『死』をからめてあらゆる思索の手掛かりとなりはてて頭の中ががんじがらめとなり思考の半ば停止が茶飯となり、私の文学の主題でもあった「死」はより身近なものとなりおおせた」
実は余命宣告を受けた日、長男の伸晃氏には電話で伝えていました。
長男 石原伸晃さん
「本人から『俺は死ぬ俺は死ぬ』って電話来たんで、家族としては辛かったですね。かなり高揚している感じがしました」
死に直面した石原さん、その葛藤をこうつづっています。
「『死』の予感とその肌触りは人間の信念や予感までを狂わせかねない」
そして――
「ただ瞳を凝らし、待ち受けることしかありはしない。それに向かって昇る階段の数を数えることすらゆるされてはいない」
日に日に体力も衰えていった石原さんですが、家族には、弱々しい姿を見せなかったと言います。
長男 石原伸晃さん
「11月話した時、選挙に負けて『どう?』って言ったら、『お前こそ大丈夫か?』って言う感じで、『俺の人生は好き勝手やってた。これだけ好き勝手やってきた人間いないから良かったと思うだろ?』って、『そりゃ思うよ。家族は迷惑したけどね』と、こんな事も話せる感じでした」
在りし日の「石原節」を思わせる強気な姿でした。
石原慎太郎さん(当時80)
「まさしく80歳。なんでオレがこんなことやらなくちゃいけないんだよ。若いやつしっかりしろよ」
余命宣告を受けた後も自宅の机に向かい、執筆を続けていたという石原さん。
亡くなる5日前には、本の読み聞かせをしていた家族に、「こういう良いエッセイとは何処で出会うの?」と質問し、最後まで文学者であり続けました。
石原さんは、死への覚悟を文章の最後でこうつづっています。
「私は誰はばかりもなく完璧に死んでみせると言う事だ」
そして、小説の主人公の言葉を借りて、筆を置きました。
「死、そんなものなどありはしない。ただこの俺だけが死んでいくのだ」と。