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廃業を覚悟した“老舗酒造の後継ぎ”に…日本酒造りの道へ飛び込んだ23歳女性の挑戦

2022年2月22日 21:28
廃業を覚悟した“老舗酒造の後継ぎ”に…日本酒造りの道へ飛び込んだ23歳女性の挑戦

愛知県愛西市で江戸時代末期から続く水谷酒造。現在でも酒蔵の一部は創業当時のままです。

水谷酒造にいるお弟子さんは「日本酒好き」の大卒の23歳女性です。廃業を覚悟した“老舗酒造の後継ぎ”となり、師匠と二人三脚で酒造りに挑戦しています。

「千瓢」のブランド名は戦国時代に日本統一をした豊臣秀吉の馬印が「千成瓢箪」だったことに由来して名付けられたといいます。

取引先の酒販店
「非常に食と寄り添えるお酒だと思っています」

常連客
「木曽川の伏流水でまったりとした、ちょっと甘みのあるおいしい酒です」

釜の中へ洗ったお米を敷き詰めていくのは、5代目蔵元の水谷政夫さん。

その傍らで補佐に回るのが後藤実和さん、23歳。

父と娘かと思いきや、去年の春に大学の農学部を卒業し、酒造りの道へ飛び込んできたお弟子さんです。

水谷酒造での酒造りは、蔵元の水谷さんと実和さんの2人だけで行われています。

かつては大手酒造会社に売る「桶売り」をしていましたが、現場を仕切る杜氏(とうじ)や、蔵人たちが高齢となり引退していきました。

それを機に平成10年、大手との取引をやめて、水谷さんがひとりで周りに支えられながら酒造りをしていたのです。

ところが、コロナ禍で日本酒の需要が伸びず廃業を考えていました。

すると――

水谷酒造5代目社長 水谷政夫さん(58)
「本当に偶然のご縁ですよね。彼女自体も酒造会社で働きたい、日本酒を造りたい、そういう職業につきたいとすごく思っていたそうで」

実和さんは大学時代、日本酒研究会に入り、酒造りの歴史を学び、酒蔵見学にも訪れていました。さらに、イベントも開催するなど日本酒の世界に魅了されていました。

そして、2020年の夏、就職活動中に後継ぎを探していた水谷さんと出会いました。

後藤実和さん(23)
「やっぱり日本酒造りって、めちゃくちゃ大変なことなんだなって。それをひとりでやっていたのは、本当に尊敬しかないです」

こうして酒造りの世界へ飛び込んだものの、現実は厳しいものです。

――(水は)冷たいですか?

後藤実和さん(23)
「冷たいは冷たいです」

寒い酒蔵の中、水温3度の水でお米を洗ったり、蒸したお米を混ぜ合わせたりするなど、体力と気力が必要な世界です。

後藤実和さん(23)
「最初になりましたね。めっちゃ筋肉痛でした」

小柄ですが、手を緩めることもなく黙々と作業をこなしていきます。

水谷酒造5代目社長 水谷政夫さん(58)
「彼女の日本酒に対する熱意は、酒蔵に生まれた私としては、非常にありがたい」

水谷さんひとりではできなかった酒造りにも、挑戦することができました。

それは「雫取り」と呼ばれる、もろみを布袋に入れて吊るし、したたり落ちるお酒を取る製法。

袋の取りつけは重労働で、瓶詰まで長時間に及ぶため、水谷さんひとりではできなかった作業でした。

おいしいお酒を造りたいという情熱が、かわれたのです。

後藤実和さん(23)
「私の意見もドンドン聞いてくださって、判断して活用してくださるので。すごくいい方に私も巡りあえたので、そこの縁というのもめちゃくちゃ感謝しています」

二人三脚での新たな酒造り。実和さんには大事な仕込みがありました。

水谷酒造5代目社長 水谷政夫さん(58)
「純米吟醸酒あたりのものをチャレンジしてもらおうかなと思って」

純米吟醸酒とは米、米麹、水のみを原料として、よく磨いたお米を通常よりも低い温度でゆっくり発酵させて造るお酒。

杜氏の弟子として一歩を踏み出した実和さんに、師匠である水谷さんは期待しています。

水谷酒造5代目社長 水谷政夫さん(58)
「彼女の方向性が今のままで間違ってなければ、本当に(酒造)業界のためになる人なんだというイメージですね」

後藤実和さん(23)
「自分で責任を持って造れるように、しっかりとがんばっていこうと思っています。ゴールは、はっきりと目指してます」

初挑戦した純米吟醸酒は、来月上旬ごろ完成予定です。

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