「燃える闘魂」アントニオ猪木さん死去…アリさんと「異種格闘技戦」 参院議員を2期、「独自外交」北朝鮮を33回訪問も 近年は難病との闘い
元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんが1日朝、死去しました。79歳でした。
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「1、2、3、ダーッ!」「元気ですかー!元気があればなんでもできる!」
闘魂注入や「元気ですかー」などのかけ声で知られ、“燃える闘魂”というキャッチフレーズで多くの人に親しまれてきたアントニオ猪木さん。
17歳でプロレスデビューした猪木さんはジャイアント馬場さんと組んだ「BI砲」で多くの名勝負を繰り広げ、日本のプロレス人気をけん引してきました。
その後「新日本プロレス」を旗揚げすると、1976年には当時のボクシングヘビー級チャンピオン、モハメド・アリさんと対戦。
プロレスとボクシングの異種格闘技世界一決定戦は、今もファンの間で“伝説”として語り継がれています。
突然の訃報に、街の声は…
50代「(Q:けさアントニオ猪木さんが亡くなられた)えっ知らなかったです。とても残念ですね。『ダーッ!』って私たち懐かしくやっていた」
40代「子どもの頃から見ていたので、ああいう無敵な方がなくなるのかなって本当に信じられない思いで、僕ら世代だとヒーローになると思います」
1989年には政界にも進出。湾岸戦争直前のイラクに乗り込み、「人間の盾」とされた日本人の解放に尽力しました。
中でも、力をいれていたのは「日朝関係」だといいます。師匠の力道山さんが北朝鮮出身だったことから、その思いを受け継ぎ、「スポーツ外交」として北朝鮮を33回訪問し、「国際親善勲章第一級」という外国元首レベルに与えられる最高級の勲章を受章したということです。
猪木さん(2008年の訪朝で)「(日朝の)橋渡しができたらなと思っております。ということで、行くぞ!1、2、3、ダァーッ!」
北朝鮮では、訪問の度にニュースで報じられ、平壌で「平和の祭典」が開かれるなど、町中で「猪木コール」が飛ぶほど、広く知られた存在だという猪木さん。
近年は持病の糖尿病や、難病の「アミロイドーシス」も患うなど闘病生活が続いていました。
「元気ですかー!元気があればなんでもできる」
今年8月の「24時間テレビ45」にゲストとして出演。両国国技館のステージで笑顔を見せました。
「お別れの会」は後日、執り行う予定です。