【皇室コラム】天皇陛下 トンガお見舞いと70年の交流
津波で大きな被害を受けたトンガのツポウ6世国王に、天皇陛下がお見舞いの電報を送られました。陛下の訪問は3回。良くしてもらったことを思い出し、被災した人たちを案じられているそうです。そこには70年に及ぶトンガ王室との親密な交流があります。
(日本テレビ客員解説員井上茂男)
【皇室コラム】「その時そこにエピソードが」第14回<天皇陛下トンガお見舞いと70年の交流>
■「友情の島」と探検家キャプテン・クックが呼んだ島
2008(平成20)年の夏。先代のツポウ5世国王の戴冠式に出席される皇太子時代の天皇陛下に同行し、トンガのトンガタプ島にある首都ヌクアロファを訪ねました。オーストラリアのシドニーを経由して東京から飛行機で14時間。約10万人が暮らす南半球の島国は、真冬なのに日中の気温は30度近くまで上がり、夜になっても汗ばむほどでした。
最初に感じたのは、大柄な人たちが多いことと、柔らかな笑顔にあふれていたことでした。
『ガリバー旅行記』に登場する巨人の国のモデルとも言われ、18世紀の英国の探検家キャプテン・クックが人々の親切に「友情の島」と呼んだと聞き、納得したものでした。信号機はなく、たまに見かける標識は「GIVE WAY」。タロイモ畑を通り抜ける幹線道路の脇を、子ブタがちょろちょろ走るのどかな島でした。
8月1日。戴冠式は王宮に近い教会で行われました。国王は賛美歌の合唱の中で入場し、聖書に手を置いて宣誓、司祭から王冠を授けられました。英国のエリザベス女王の戴冠式のようなーーと思ったら、1845年にトンガを統一したキリスト教徒の国王が英国王の名前にならって「ジョージ・ツポウ1世」と名乗り、保護領を経て1970(昭和45)年に独立、英連邦に属してきた歴史がありました。
戴冠式の夜。お祝いなのか海岸のあちこちで火がたかれ、闇の中でくるくると回る火も見えて幻想的でした。車を止めて海岸に下りると、バナナなのか大きな葉が燃やされ、子どもたちが葉や茎の端に火を移して勢いよく回していました。子どもたちの輝く目を思い出します。
ツポウ5世の戴冠式には、タイの当時のプミポン国王の二女・シリントン王女や、英国のエリザベス女王の従兄弟のグロスター公爵夫妻らが参列しました。一番の賓客が皇太子だった陛下でした。戴冠式前夜の夕食会では皇太子時代のツポウ6世と王太后がメインテーブルで陛下をもてなし、戴冠式の一連の行事でツポウ5世が満面の笑みで陛下に接していたことが強く印象に残っています。
戴冠式が行われた教会も、陛下が国王に謁見された王宮も、島の北側の海の近くにあります。津波が押し寄せた海岸です。現地のニュース映像を見ると、青々と茂っていた木々も、赤い屋根が鮮やかな王宮の屋根も、みな火山灰に覆われ褐色に変わっていますから、被害の大きさがうかがえます。
■そろばん1000丁を買って帰り、小学校教育に取り入れたツポウ4世
トンガ王室と日本の皇室との接点は、1953(昭和28)年の英国にあります。エリザベス女王の戴冠式です。上皇さまはこの時、トンガのサローテ女王(ツポウ3世)に会われました。『エリザベス女王』(君塚直隆著、中公新書)によると、戴冠式が終わって、屋根をはずした馬車で移動するサローテ女王は突然の雨に見舞われましたが、あわてて屋根をつけようとする御者を制し、ずぶ濡れになりながら笑顔で市民の歓呼に応え続け、その気概が市民の感動を呼んだそうです。
国民に慕われた女王は1965(昭和40)年に65歳で亡くなり、長男がツポウ4世として即位します。身長190センチ、体重209.5キロ。ギネスブックに「世界一重い国王」として載った国王です。1973(昭和48)年11月。国王夫妻は来日して昭和天皇と香淳皇后に面会します。この時、王妃お手製の貝殻張りのハンドバッグが香淳皇后に贈られています。上皇ご夫妻は赤坂御所に招いてもてなされました。
1989(平成1)年2月、ツポウ4世夫妻は昭和天皇の大喪の礼にも来日し、今の天皇陛下がお礼を伝えにホテルを訪ねられています。
ツポウ4世は親日家として有名でした。朝日新聞の追悼記事(2006年10月16日夕刊)によれば、国王は日本の歴史や文化に興味を持ち、「これを習うと頭が良くなる」と、そろばん1千丁を求めて持ち帰り、小学校教育に鶴のひと声で珠算を取り入れさせました。今も珠算教育は行われています。
高校の第2外国語に日本語を加え、大相撲に「南乃島」ら多くの力士を送ったのもツポウ4世です。大喪の礼の出席が10回目の来日だったそうですから、親日ぶりがわかります。
2006(平成18)年9月、ツポウ4世は88歳で亡くなり、葬儀に今の天皇陛下が駆け付けられました。2年後、陛下はツポウ5世の戴冠式で再びトンガを訪問されます。「遠路はるばる厚く感謝します」。ツポウ5世は丁重に謝意を述べ、特別な客人をもてなすために目覚まし代わりの竹笛奏者を陛下のホテルへ遣わしました。来日も15回近く、皇室と親交を重ねました。
そのツポウ5世は2012(平成24)年3月に63歳で亡くなり、首相や駐日大使も務めた弟の皇太子がツポウ6世として即位しました。戴冠式には皇太子ご夫妻時代の天皇皇后両陛下がお二人で出席し、陛下の即位の礼の時はツポウ6世が夫妻で来日しています。
■友情と交流の絆が強まればと願われた天皇陛下
陛下のトンガ国王へのお見舞いは電報でした。メールの時代でも、皇室の国際親善で電報は手紙と共に重要なツールです。「ご親電」と呼ばれる天皇陛下の電報は、建国記念日、元首の誕生日や逝去、災害のお見舞いなどで370通(昨年)が発信されています。
宮内庁によれば、陛下からツポウ6世国王に宛てた電報は、陛下と皇后雅子さまお二人の気持ちを伝える内容だったそうです。お二人の思いはツポウ6世の戴冠式の時の感想からうかがえます。「我が国とトンガ国の間では、開発援助を始めとする政府間の協力のみならず、両国国民間の温かい交流が積み重ねられてきています。これからも我が国とトンガ国との関係が深まり、両国国民の友情と交流の絆が更に強まればと願っています。私たちも、両国の親善、友好のために少しでもお役に立てれば幸いです」
東日本大震災の時に1000万円近い支援金を寄せてくれたトンガです。最近はラグビーの関わりが密接ですが、その背景に王室と皇室との間に70年にわたる交流があります。「友情の島」の人たちに柔らかな笑顔が一日も早く戻ることを、両陛下は心から願われていると思います。
【略歴】井上茂男(いのうえ・しげお)日本テレビ客員解説員。
元読売新聞編集委員。皇室ジャーナリスト。1957年東京生まれ。読売新聞社会部の宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご成婚や皇后さまの適応障害、愛子さまの成長などを取材。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。