【地域みらい留学】中学時代は不登校も経験…ひとり北海道・礼文島に渡った高校生
鈴江アナが訪ねたのは、島でたったひとつの高校、北海道礼文高校。日本で最も北にある公立高校は、島の外から積極的に生徒を受け入れている。全校生徒58人のうち、島の外からきた生徒は、実に半分近い26人。
3年生の掃部暁里(かもん・あさと)さん。今は、生徒会長を務めるなど充実した高校生活を送っているが、中学生の時、不登校になった時期があった。
中学校卒業後、千葉県から礼文島に渡った暁里さんは家族と離れ寮でひとり暮らし。暁里さんの部屋にお邪魔すると、礼文島出身の生徒から誕生日プレゼントでもらったプラモデルが飾られていた。話を聞くと、遠い離島の高校に通うことを決めたきっかけは、“こころの不調”。
「中学2年生から卒業式まで学校に行けなくなった。いじめられたり、先生から嫌なことをされたりとかではなく、今まで普通にできていたことが何もできなくなり、一日中寝ていることしかできなくなってしまった」
きっかけというきっかけはなかったとのこと。勉強や陸上部の活動に打ち込んでいた中学校での生活は一変、不登校に。なんの前触れもなく憂鬱な気分に支配されたという。
「自分を責めて『何で行けないんだ』と思っても、それに比例して身体も重くなって、家族とか友達からもいろいろ言われるので、本当にあのときは地獄でした」と話す。当時のことを、母親のまゆさんは――。
「こういう理由で行けないっていう方が解決のしようがあるというか、何か戦いようがあるような気がするんですけど、何も言わなくて布団を被ってしまって。」
単にさぼっているだけでは…と布団剥がして怒鳴ったこともあったという。当初、無理にでも学校に行かせようとしていたまゆさん。医師に相談すると、返ってきたのは――。
「これ以上子どもを追い詰めて、来年まで生きていてくれるでしょうか?」というメッセージ。本当にハッとしたという。学校に行く、行かないというレベルの話ではなく、生きる、という命の話に心が入れ替わったのだそう。これ以来、地元の学校に行くことは強要せず、暁里さんが一歩踏み出せるものは何か、一緒に探し始めたという。
そんななかで見つけたのが、「地域みらい留学」という取り組み。趣旨に賛同した、全国90校以上の公立高校に入学が可能で、豊かな自然や地域住民とのふれあいなど、貴重な経験ができるというもの。
それまでの環境を変えられる、“新たな学びのカタチ”。メリットは、生徒を受け入れる側の高校にも。
礼文高校の入学者数は、およそ10年前にわずか2人になり、その後10人前後で推移。島にたったひとつの高校は、統廃合の危機に。しかし、地域みらい留学で、生徒数は倍増したという。
千葉県から、礼文高校に入学した暁里さん。担任の先生は、入学当時について――。
「覚悟のある目というか、『学校で自分が変わろうとしているあなたが好きだよ』と伝えたらうれしそうな顔をしたことを覚えています」
7月17日。この日は暁里さんにとって、高校生活最後の学校祭。「礼文高校より、町内の皆様に第45回礼高祭のご案内を申し上げます」島中に流れるアナウンスは実は、暁里さんの声。実は暁里さんの夢は声優やアナウンサーといった声を使う仕事に就くこと。学校もそんな暁里さんの夢を応援して、学校行事の町内放送を町の職員ではなく、暁里さんに任せている。
学校祭には、在校生の家族だけでなく、地域の人も合わせて、島の人口の10分の1にあたる、およそ230人が集まるほどの盛況ぶり。暁里さんは、クラスの出し物のお化け屋敷以外にも、ステージでダンスに歌にと大活躍。母親のまゆさんは――。
「2年半前には息子がこんな風になるなんて想像もつかなかった。もしこの先、またしゃがむようなことがあっても、大丈夫だなって思えました」
自宅から1,000キロ以上離れたここ礼文島で、暁里さんが見つけたのは「新しい価値観」。
「中学校とか小学校って、教室内で全部完結しちゃうというか。狭い世界。初めて自分の知らない場所に行ってみて、世界ってこんなに広いんだ」
都会にはない雄大な自然。違う環境で育った友人たち。暁里さんにプラモデルをくれた、礼文島生まれの同級生は。
「暁里がいたから面白かった場面もあるし、楽しかった場面もある。今まで島内の人たちとしか関わってなかったし、人もあまり変わらなかったから、いい刺激になったし、価値観が変わった」
さまざまな新しい出会いや経験が、暁里さんが自分らしさを取り戻すきっかけをくれた。
「中学校の自分が今の僕を見たら自分じゃないって思うと思います。礼文高校っていう存在を知るきっかけになったお母さんと、こんな僕を受け入れてくれた礼文島の皆さんに感謝したいです」と、暁里さんは笑顔で語った。
※詳しくは動画をご覧ください。(2022年8月26日放送「news every.」より)