【NNNドキュメント】はじまりは“小さな嘘”から… 苦境乗り越え夫婦で歩む“いかさま手品師”の夢 NNNセレクション
ギャグを交えた手品が持ち味の自称“いかさま手品師”、ブラボー中谷さん。新型コロナで収入源のマジックショーがなくなった。さらに病気のため、手品師を続けることも諦めかけた。妻と時間を重ね、ファンと触れ合う中で気持ちに変化が。夫婦で奮闘した手品師夫婦の3年間。
ブラボー中谷さん
「裏が金になっております。裏金でございます。ありがとうございます」
マジック界の革命児、自称“日本一のいかさま手品師”、ブラボー中谷さん。
もともとはサラリーマン。でも、29歳の時に趣味の空手であごを骨折し、救急車で病院に。
ブラボー中谷さん
「私が入院している部屋の隣が小児科病棟だったんです。子どもたちがいっぱいいたわけです。たまたまひとつ、マジックをやってみせたんです。子どもたち、すごく大喜びして。『おじちゃん、プロマジシャンなの?』って言われた時に、調子こいて『ああ、そうだよ』って言っちゃった」
毎日、病室に遊びに来ていた女の子が、ぱたりと来なくなりました。
ブラボー中谷さん
「聞いたら、亡くなっちゃってて。相当、ショックを受けて一晩中泣いちゃった。そして、泣き終わってから、『よし、プロマジシャンになる』って。プロマジシャンでないのに、『プロマジシャンだよ』って言ったもんだから、“いかさまマジシャン”だと思って。もし、おじちゃんがマジックで病気を治してあげたら何をやりたいって聞いたら、学校に行きたいとか、友達と遊びたいとか、家族と買い物に行きたいとか。普通のことでした」
病気を治すことはできないけれど、見る人が元気になれる手品をしよう。独学を重ねて、32歳でプロの世界に飛び込みました。
かつては北海道から九州まで、依頼があればどこへでも足を運びました。しかし、マジックショーの仕事は、コロナ禍でなくなってしまいました。
ブラボー中谷さん
「ここ(車中)を自分たちの楽屋と着替え室にして、そういう使い方をしていたんですけど、コロナでこの車の出番が全くなくなって、それで夕食とか」
妻・張美さん
「デートの場になりました」
さらに、腎不全も発症。激しいだるさに襲われ、倒れ込むことが増えたのです。
ブラボー中谷さん
「需要が少しずつ下がっていって、需要がなければ終わりなので、そのままフェードアウトしていけばいいのかなと」
妻の張美さん。結婚以来、夫が選んできた道にずっと寄り添ってきました。
妻・張美さん
「マジックをやる場所が失われたのがすごく悲しい、さみしい、悔しい。もう一回、海外のステージに立たせたい」
2人で歩んできた30年。
妻・張美さん
「彼には好きなことをしてもらいたいので、それを、自分でできることは支えていきたい」
そんな2人にとって、うれしい依頼が飛び込んできました。空手の国際交流会が開かれ、特別ゲストとして招かれました。
ブラボー中谷さん
「アメージング、アメージング!」
会場で子どもを見つけると、ついついステージにあげてしまうのはデビューした時からのこと。
ブラボー中谷さん
「イッツスモール! 拍手、拍手!」
妻・張美さん
「見てくださる方が笑顔になって、そこで続けようって」
ブラボー中谷さん
「やれるまでやる、みたいな感じかなあ」
妻・張美さん
「息絶えるまで」
ブラボー中谷さん
「だね」
ブラボー中谷さん
「ワン・ツー・スリー! 龍です。ヘビじゃありません! 龍です!」
「お客さんがこないと成り立たないんですけど、こんなに満席になってくれて。俺が持ってないものを、みんな、ね」
観客
「かんばれよ!」
司会
「ブラボーさん、ブラボーさんのことが大好きな皆さんが、こんなに集まってくれているんですよ」
これからも夫婦で、“いかさま手品”に夢を見続けます。
2024年11月10日放送 NNNドキュメント'25『いかさま手品師の夢~夫婦、1000日の奮闘記~』をダイジェスト版にしました。
ブラボー中谷さん
「裏が金になっております。裏金でございます。ありがとうございます」
マジック界の革命児、自称“日本一のいかさま手品師”、ブラボー中谷さん。
もともとはサラリーマン。でも、29歳の時に趣味の空手であごを骨折し、救急車で病院に。
ブラボー中谷さん
「私が入院している部屋の隣が小児科病棟だったんです。子どもたちがいっぱいいたわけです。たまたまひとつ、マジックをやってみせたんです。子どもたち、すごく大喜びして。『おじちゃん、プロマジシャンなの?』って言われた時に、調子こいて『ああ、そうだよ』って言っちゃった」
毎日、病室に遊びに来ていた女の子が、ぱたりと来なくなりました。
ブラボー中谷さん
「聞いたら、亡くなっちゃってて。相当、ショックを受けて一晩中泣いちゃった。そして、泣き終わってから、『よし、プロマジシャンになる』って。プロマジシャンでないのに、『プロマジシャンだよ』って言ったもんだから、“いかさまマジシャン”だと思って。もし、おじちゃんがマジックで病気を治してあげたら何をやりたいって聞いたら、学校に行きたいとか、友達と遊びたいとか、家族と買い物に行きたいとか。普通のことでした」
病気を治すことはできないけれど、見る人が元気になれる手品をしよう。独学を重ねて、32歳でプロの世界に飛び込みました。
かつては北海道から九州まで、依頼があればどこへでも足を運びました。しかし、マジックショーの仕事は、コロナ禍でなくなってしまいました。
ブラボー中谷さん
「ここ(車中)を自分たちの楽屋と着替え室にして、そういう使い方をしていたんですけど、コロナでこの車の出番が全くなくなって、それで夕食とか」
妻・張美さん
「デートの場になりました」
さらに、腎不全も発症。激しいだるさに襲われ、倒れ込むことが増えたのです。
ブラボー中谷さん
「需要が少しずつ下がっていって、需要がなければ終わりなので、そのままフェードアウトしていけばいいのかなと」
妻の張美さん。結婚以来、夫が選んできた道にずっと寄り添ってきました。
妻・張美さん
「マジックをやる場所が失われたのがすごく悲しい、さみしい、悔しい。もう一回、海外のステージに立たせたい」
2人で歩んできた30年。
妻・張美さん
「彼には好きなことをしてもらいたいので、それを、自分でできることは支えていきたい」
そんな2人にとって、うれしい依頼が飛び込んできました。空手の国際交流会が開かれ、特別ゲストとして招かれました。
ブラボー中谷さん
「アメージング、アメージング!」
会場で子どもを見つけると、ついついステージにあげてしまうのはデビューした時からのこと。
ブラボー中谷さん
「イッツスモール! 拍手、拍手!」
妻・張美さん
「見てくださる方が笑顔になって、そこで続けようって」
ブラボー中谷さん
「やれるまでやる、みたいな感じかなあ」
妻・張美さん
「息絶えるまで」
ブラボー中谷さん
「だね」
ブラボー中谷さん
「ワン・ツー・スリー! 龍です。ヘビじゃありません! 龍です!」
「お客さんがこないと成り立たないんですけど、こんなに満席になってくれて。俺が持ってないものを、みんな、ね」
観客
「かんばれよ!」
司会
「ブラボーさん、ブラボーさんのことが大好きな皆さんが、こんなに集まってくれているんですよ」
これからも夫婦で、“いかさま手品”に夢を見続けます。
2024年11月10日放送 NNNドキュメント'25『いかさま手品師の夢~夫婦、1000日の奮闘記~』をダイジェスト版にしました。
最終更新日:2025年3月1日 13:26