救いたかった息子の命 地震で“やけど”の5歳児入院できず 母親は…
能登半島地震で5歳の息子を失った母親が悲痛な思いを語りました。男の子は地震の揺れで倒れたやかんの熱湯がかかり、やけどを負いましたが入院できず、地震から4日後に亡くなりました。幼い命は、なぜ救えなかったのでしょうか。
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地震が奪っていった小さな命。
息子を亡くした中川岬さん(26)
「オムライスとからあげとか好きでした。『ママ作ったご飯おいしい』って。スーパーで仕事の服を着ている人に会うと『お仕事お疲れさま』と、全く知らない人にも言っていました。すごく優しい子でした」
石川県志賀町に住んでいた中川叶逢くん、5歳。
息子を亡くした中川岬さん
「元気に生まれまして、大きくて」
スマホの中に詰まった息子とのたくさんの思い出。中川叶逢くん(5)は、能登半島地震に命を奪われました。
息子を亡くした中川岬さん
「生まれてきてくれてありがとうとか、叶逢のママでよかったよとか、もっと色々したかったとか、もっとどこでも連れて行ってあげればよかったとか、時間をもっと作ってあげればよかったという後悔があります」
なぜ息子を救えなかったのか、母親が悲痛な思いを語りました。
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元日の夕方、大きな揺れが石川県を襲いました。2人は志賀町の親戚の家にいて、石油ストーブでお餅を焼いていましたが、地震でのせていたやかんが倒れ、熱湯が叶逢くんにかかりました。やけどの範囲がおしりや足など広範囲に及んでいたため、すぐに救急車を呼びましたが…
息子を亡くした中川岬さん
「救急車が来ないので自分(の車)で行こうと思って。怖かったんですけど、道路も割れているし。おしりのやけどだったので、車に乗ったら『痛い』と言って乗ってくれなくて」
「やけどでは出動できない」と一度は断られるも、自力で移動できず、再度119番をして別の町にある病院に搬送されました。しかし――
息子を亡くした中川岬さん
「処置したら終わりって感じ。すごく泣いていました、『痛い』って。薬も塗るけど痛がるし、皮もめくれていて肉が見える状態だったので、なんで危険な状態なのに入院させてもらえなかったのかな。ちょっとひっかかりますね」
入院ができず自宅での治療を余儀なくされた叶逢くん。3日の朝に高熱を出し、同じ病院の集中治療室(=ICU)に入りました。
しかし、その時も――
息子を亡くした中川岬さん
「部屋があくまでずっと救急の入り口で待っていて、もう息がとまっていて、顔もちょっと青白くなっていて、色変わっていて、もう息がとまっていることがわかって」
待機をさせられた叶逢くん。5日に息を引き取りました。
息子を亡くした中川岬さん
「(熱湯が)私に全部かかっていたら無事やったのかなとか考えたりします。『ママ、世界一かわいい』とか言ってくれたし、さみしい…」
私たちの取材に病院側は「現在経緯を検証中」と回答しています。