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島民運び続けた船長と“ひまわり”最後の日

2020年4月24日 20:45
島民運び続けた船長と“ひまわり”最後の日

東日本大震災の津波で孤立した宮城県の気仙沼大島。震災の2日後から唯一の足として島民を運び続けたのが臨時船「ひまわり」です。船長の菅原進さんは、2019年4月に「気仙沼大島大橋」が開通するのを機に、50年にわたる「ひまわり」の運航を終える決断をしました。「ひまわり」最後の日までの船長と島の人々の記録です。

島と本土をつなぐ“ひまわり”と船長は、“あの日”も島民たちをつないでいました。気仙沼市本土と大島をつなぐ臨時船“ひまわり”と船長の菅原進さん。約50年にわたって、島民のために船を走らせてきました。

船の乗客「夜ね、島の人たちのために、動いてくれる」

仕事が遅くなり、定期船に乗り遅れた人の運搬など、島民の貴重な足として、ひまわりと共に島の暮らしを支え続けた菅原さん。

菅原さんの孫・日菜乃さん「忙しくてもいつでも船を出して欲しいと言われたら、出しているのがすごいと思いました」

東日本大震災。大型の定期船は陸に打ち上げられ、島は孤立。津波の被害をまぬがれた菅原さんとひまわりは震災2日後、島民のため運航を再開。

記者「気仙沼から帰ってきた大島の方々が4日ぶりに家に帰ります」「どうもこんにちは、大変ですね」

被災した大崎喜久夫さん「まだ見つからないんですよ」

記者「お孫さんですか?何歳ですか?」

大崎さん「今年(小学校)入学するばかり…」

記者「大変ですけど頑張ってください」

震災で孫を亡くした大崎喜久夫さん。孫の遺体を発見したのは船長の菅原さんでした。

震災から8年。島民にとって悲願だった本土へつながる橋が開通。ひまわりはその役目を終えます。ひまわりと菅原さんにとって最後の日。100人を超える島民が駆け付けました。

大崎さん「船長さん、本当に長い間、お疲れ様でした。孫を見つけてもらった時は本当に感謝感謝の気持ちで本当にうれしかったです」

役目を終えても、菅原さんとひまわりがあの日届けた希望は、島民の心にしっかりと刻まれています。

菅原さん「まあ、なんとか頑張ってやりましょう。俺は“進”、進め進めだから。前向いてやらないといけないから」

【the SOCIAL×NNNドキュメントより】